常陸国総社宮(石岡市)参道〜随神門

 

「国」と「國」

神社のサイトの中で、

ロゴマークなどでは

「常陸國總社宮」と、

旧字体が使用されていますが、

主に使用されているのは、

常陸国総社宮ひたちのくにそうしゃぐう」と

新字体での漢字表記です。

なので、

表題ではこちらを使っています。

ただ、

旧字体、新字体と書きましたが、

漢字文化資料館というサイトを見ると

「国」の漢字が、

天正十七年(1589)の書物で

使用されていた例が載っていて

「国」は意外と古くから

併用されていたのです。

もはや、

こちらも旧字体と言えるでしょう!(笑)

専用駐車場

常陸国総社宮の専用駐車場は、

実に優れものです。

僕たちの進行方向から見た案内。

分かりやすく一般的な表示です。

そして反対面を見ると・・・

なんと神様付き!(笑)

しかも満車時の案内もあり、

これだけでも感動です。

ホテルルートイン石岡を出発して

約6分ほど、午前7時50分頃、

駐車場に到着。

社務所が開くのは午前9時ですが、

一日を最高効率で使う為、

常陸国総社宮への参拝は、

神様のお目覚め前に、

ひっそりと(笑)させて頂きました。

駐車場端の境内案内。

こちらも一目瞭然で、

ホント素晴らしいですよ!

第一駐車場から本殿までは、

表参道と、近道の令和坂の

二つがありますが、

僕たちは表参道から入り、

各所を見学・参拝後、

令和坂から駐車場に戻るという、

一筆書きコースとしました。

参道

表参道の起点へ。

右側の石岡小学校は、

国指定史跡の常陸国衙跡です。

常陸国総社宮がいかに古く、

そして重要なものだったかが、

分かりますね。

一の鳥居前には僕たちが停めた

第一駐車場への案内があり、

こちらからの導線も完璧です。

まだ鳥居もくぐっていないのに、

僕たちの心は

総社宮に鷲掴みされています(笑)

お邪魔します!

年末にも関わらず、初詣の幟で、

心はもはや令和八年です(笑)

左へ90度。

年季が入った古い案内板。

既に随神門も見えていますが、

はやる心を抑え(笑)

まずは参道右側の案内などへ向かいます。

「常陸國總社宮」

「常陸國總社宮は大宝令に制定された

神祇官に相当するもので、

神祇の祭祀を掌り

国内の諸社を総管した神社である。

古くは国衙の近くに設けられ、

国府の宮と称されていたが、

延喜年間(901〜922)に

天神地祇の六柱の神が祀られ、

六所の宮と呼ばれるに至り、

さらにその後、

総社の名が使用され今日に至った。

社伝によると、

始め国家鎮護の社として全国のうち、

常陸・武蔵・甲斐・駿河・長門・対馬の

国府が選ばれ、

常陸国府に第一創建あるべしの

勅命により建てられたとある。

大掾氏だいじょうしとの関わり

総社は、国内の諸社を総括したもので、

国府との関係から大掾氏とも深い縁がある。

◇エピソード〜常陸總社文書と大掾氏

總社宮には、常陸總社文書という

貴重な文書が残っており、

県指定文化財となっている。

この文書は治承3年(1179)から、

天保年間(1831〜1845)に至る

中世及び近世の文書であり、

源頼朝挙兵の前年(治承3年)の文書、

永仁5年の徳政令に関する文書など

資料価値の高い文化財で

50通が指定されている。

その中には大掾氏に関する記述も見られ

「總社敷地田畠坪付注文断簡」には、

第12代時幹ときもとの名がみられ、

總社敷地に対する知行権を

有している様子などがわかる。」

Wikipediaによれば、

大掾氏は豊臣秀吉の小田原征伐に

参陣しなかった事で、

常陸国は参陣した佐竹氏に与えられ、

これが元で大掾氏本家は滅んでいます。

戦国の世を生き残るって、

ホント大変だ〜(汗)

文化財の紹介。

江戸城を最初に築城した

太田道灌が奉納したと伝わる

「軍配」が気になりますね!

土俵。

真ん中の奥にお社がありますが、

相撲の神様なのでしょうか?

もし相撲の神様ならば、

御祭神は野見宿禰のみのすくねでしょう。

(勝手な想像です)

由緒と手水舎。

「常陸國總社宮 由緒」

先ほどの案内と重ならない部分を

一部抜粋してみます。

「〜国府と総社の物語〜」

「約千三百年前の七世紀、

現在の茨城県は常陸国と呼ばれていました。

広大で海山の幸に恵まれたこの国は

全六十余国のうち最上の「大国」とされ

常世の国とも称される憧れの聖地でした。

常陸国の中心地である国府があった場所が

旧茨城郡、現在の石岡市です。

茨城の県名はここに由来します。

国府の長官である国司が執務した

国衙跡の遺跡は

近年の大規模発掘調査に伴い

国指定史跡に登録されました。」

手水舎は入母屋破風の豪華版で、

手水鉢は花手水ですね。

お〜素晴らしい!

ウオータースライダーみたいな樋に

赤い実に、白い椿、

癒されますな〜!

随神門

そして随神門へ。

苔むした素朴な茅葺屋根、

まるでここだけが江戸時代です。

「随神門

寛永四年(1627)頃再建」

以下、抜粋します。

「天正十八年(1590)、

現在の石岡小学校敷地にあった

常陸府中城は佐竹義宣に攻められ

落城しました。

この戦乱から逃れるため、

常陸國總社宮は石岡市内・谷向の地に

一時的に遷座したと伝えられています。

この随神門はその後に本来の鎮座地である

この場所に再建されました。

本殿と共に、境内で最も古い建造物で、

天井にはかつての相撲番付けが

貼り付けられています。

平成二十三年には

茅葺屋根の葺き替えが行われました。」

「随神像」

以下、抜粋・要約です。

「延宝八年(1680)完成

作者 大仏師寂幻(京五条通)」

「門内の随神像は左右一対からなる

神域の守り神です。

胎内の墨書等から製作や修理の年代が

正確に判明しています。

解体修理は、

本来の持ち味を尊重するため

「古色仕上げ」の手法を採用。」

随神門正面から中へ。

神宝庫らしきもの

早朝の神社は僕たち二人だけの世界(笑)

門をくぐると拝殿が見えていますが、

その前に気になるものを見つけたので、

まずはここで回れ右をします。

随神門、高い木、そして右端には、

「神宝庫らしきもの」が見えています。

観音開きの扉からして

明治時代のものでしょうか?

案内などは見当たりませんが、

素晴らしい建物ですね!

二階の窓も鉄扉ですよ!

こんなに厳重ならば、

大切な物を保管するしか

ないでしょう(笑)

神井

次に「神宝庫らしきもの」の目の前、

参道左側の神井へ。

神社のサイトをコピペすると

以下になります。

「当宮の境内には天然水が湧き出ており、

禊場などに利用されています。

この井戸は毎日神前に供える水や、

神職用の手水などのために

用いられています。

井筒は常陸太田の鋳物師・

鹽原彌次エ門(しおばらやじえもん)の

手になるもので大正7年作。

お水取り用の水もこちらの井戸で

くみ上げています。」

なんとこの神井は現役なんですね!

「御神井」の文字。

「御鋳物師 鹽原彌次エ門」を確認。

日本は職人が尊敬される国、

なので「鋳物師」じゃなく

「御鋳物師」なんですね!

神井らしく、

お社も鎮座していますね!

(続く)

 

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