2018/04/09
日吉大社(滋賀県大津市)其の伍
鬼門
日吉大社が鎮座する比叡山は
京都市内から見て北東に位置し、
古来から鬼門とされる方角です。
その大切な京都の鬼門を守る
日吉大社を含め延暦寺など
比叡山を焼き討ちにした信長は
京都の本能寺で家臣の謀反によって
最後を遂げてしまいました。
鬼門を壊したから鬼が入って来た?
のかもしれません。
そんな歴史を考えながら巡る
日吉大社は僕に色んなことを
語りかけてくれます。
僕の今までの生き様、
これからの生き方、
今ここにいる意味…。
一番感じたのが、
日吉大社の東本宮にある
各神社の神様は、
父、母、息子、妃、子(孫)という
家族和合の関係になっていて、
その配置も父が子を後ろから見守り
母は傍で静かに寄り添い、
奥さんはその全てと交差するような
家庭内の要のような社殿の配置。
僕なりの解釈ではありますが、
そうここは家族を大切にしている
神社なのです。
これからの人生を意義あるものに
するために僕は日吉大社の神様たちに
呼ばれたのかも知れません。
境内社巡り
ここ東本宮にも
たくさんの境内社(摂社、末社)が
あります。
昔は100以上もあったそうですが、
その当時から減ったとはいえ、
盛りだくさんの境内社に
アップアップした僕でした(笑)
内御子社。(猿田彦神)
樹下(じゅげ)若宮。
竈殿社 二宮。
稲荷社。
社の石垣と、背後の石垣が
とてもマッチしているのは、
同時期に作られたからでしょうか?
新物忌神社。
亀井霊水。
案内板の説明は下記の通り。
「昔ここには池があり
伝教大師参拝の折り、
霊亀が現れて浮かんで来た。
そこで水を占ったところ
閼伽井(あかい)という
仏様に捧げる水を汲む井戸に
するべしとの御託宣があり
「亀井」と名付けられた。」
お坊さんが神社に参拝し、
さらに神様からのお告げを受け、
そのお告げは仏様に捧げる水の事で、
しかも御託宣を受けて、井戸を作る。
神仏習合というのは
このようなものなのでしょう。
ちなみに伝教大師(最澄)のライバル空海も
唐留学からの帰途、
船を大嵐から守ってくれた
海の守護神宗像三女神にお礼のため
福岡県の宗像大社に参拝していて、
その時、近くの山に瑞雲を見て、
そこに鎮国寺(ちんこくじ)を
建てています。
このように神仏は混合され、
どちらも同じように
日本人の心の拠り所になって来たからこそ
結婚式は神前、お葬式は仏前でも
全くおかしくないというものでしょう。
日本人が無宗教なのではなく、
宗教を超越しているのが
日本人かも知れませんね(笑)
亀だけあって、
まさに亀甲(きっこう)模様ですね(笑)
醤油で有名なキッコーマンさん、
是非ここに来て
参拝されてください。
きっと今以上に会社が
繁栄するはずですから!
これも江戸時代初期くらいに
作られた石組みなのでしょうか。
背後の石垣と相まって、
何ともいえず絵になる風景です。
そして、東本宮には、
二本の御神木があります。
日吉雄梛(おなぎ)。
楼門を入ってすぐ右側にあります。
これと対になったように東本宮の奥、
この雄梛と平行な場所にあるのが、
日吉雌梛(めなぎ)です。
雄梛は「凪ぐ」「和む」と
何やら優しく大人しい意味あいでしたが、
雌梛は「薙ぎ払う」!!
いや〜今の男女関係を象徴したような
肉食女子系な意味合い(笑)
雌梛は、先ほどの雄梛と比べて
ほっそりしていますが、
底力は魔物を薙ぎ払う
くらいのものですから
それは、凄いものがあります(笑)
そして、木の背後の石垣の立派さに
どうしても目いってしまう
お城が好きな僕でした(笑)
ここまでで、東本宮の境内社や
御神木の紹介は完了です。
東本宮参道
実は、この東本宮の参道沿いにも
境内社やパワースポットがいくつも
存在しています。
楼門を出てから緩やかな坂を下り
振り返ったところがこの写真。
須賀社。
案内には
「気分がすがすがしいの須賀」
みたいに書いてあります(笑)
今まで各地の須賀神社に行きましたが、
こんな解釈ははじめてですね。
今まで日吉大社でいくつも
説明を読んできましたが、
日吉大社さん、由緒正しい神様で、
堅苦しいかと思いきや
何かとユーモアたっぷりな
神社なんですね!
こちらは岩瀧社。
まるで磐座のような岩が
ご神域になっています。
宗像三女神のうちの二柱が
御祭神となっています。
猿岩。
またこの説明文が、
うまい!
来るもの猿もの、いや去るもの(笑)
神猿(まさる)さんが
楼門を守ってくれているようにも
見えました。
氏神神社。
日吉大社の神職家は、
生源寺家と樹下家と書いてあります。
東本宮の樹下神社の名前の由来は、
この樹下家からのものかも知れません!
いや〜細やかに参拝すると
大きな発見があるものです(笑)
氏永社。
先ほどの樹下家で興奮して、
ここの神様を忘れてしまいました(笑)
八柱社。
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)で
生まれた五男三女を祀っています。
三女とは、宗像三女神のこと。
二宮橋から見た東本宮の参道。
案内に書いてあった通り、
猿岩の神猿(まさる)さんが
僕たちを見送ってくれているのが、
よくわかりますね!
エピローグ
たった4時間位の出来事に、
なんと5日もかけてしまいました。
まあ、それも日吉大社という神社が
見どころが多く、参拝する僕たちを
魅了してくれたからこそ。
最後にこじつけかも知れない逸話を一つ。
豊臣秀吉の幼少名は
「日吉丸」(ひよしまる)
日吉大社の日吉です。
また、豊臣姓の前は木下という苗字で、
これは神職家の樹下に通じるともの。
また日吉大社の神使は猿。
秀吉も「猿」と呼ばれていた…
だから豊臣秀吉はこの日吉大社を崇敬し
復興したのだと。
本当はどうか、そんな詮索は抜きに、
へ〜なるほど〜!と思うのも一興ですね!