正ノ宮正八幡神社(福岡県行橋市)

 

二つの正八幡神社

ここ行橋市には、

正八幡神社と名の付く神社が、

二社鎮座しています。

ネットで見ると、一般的には、

どちらも全く同じ、

「正八幡神社」となっていますが、

今回参拝した正八幡は、

神社社頭の案内などで、

「正ノ宮正八幡神社」と

表現されている記述もあり、

ここでは区別のために、

こちらの表記を使っています。

森鴎外との関わり

神社の社頭にある案内といえば、

御由緒が普通でしょうが、

この神社の社頭にあるのは、

神社と森鴎外との関係です。

行橋と森鴎外「小倉日記」。

僕は文学作品に関して、

題名しか知らないタイプの人間ですから

森鴎外の小倉日記と目にした時、

条件反射的に想像するのは、

バームクーヘンの中にクリームが入った、

「小倉日記」というお菓子です(汗)

この案内によると、

森鴎外は行橋には三度来ていて、

ここでは明治34年11月15日に

正ノ宮正八幡神社を

参拝した時の事が紹介されています。

森鴎外の文章をかいつまむと、

「草野八幡宮に詣づ。

享保三年の石華表あり、」

このように書かれています。

草野八幡宮は、

正ノ宮正八幡神社の事で、

石華表(いしかひょう)とは

石鳥居の事だと

説明されています。

森鴎外が参拝する

3年前に刊行された絵図にも

享保三年の鳥居が描かれていますね!

そして、時は流れ

120年後の令和三年、

僕たちが参拝した時の社頭も

同じ風景でした。

石橋があって、その先に鳥居。

お~!!

森鴎外が小倉日記に書いていた

「享保三年(1718年)の石華表」です。

鴎外ファンならば、聖地と呼んでも

過言ではない場所かもですね。

僕たちも森鴎外がくぐったであろう

石華表をくぐって進みます。

参道の左右には古い燈籠など

歴史を感じさせるものが満載で、

この石灯籠も文化二年

(1805年)の寄進です。

対になる左側の燈籠。

猿田彦大神。

反対側にもいらっしゃいます、

猿田彦大神様が。

厳島神社。

こちらも明治時代の絵図に

描かれていましたね。

石橋を渡ってさらに奥へ。

個性的なデザインの手水鉢。

拝殿。

神紋は三つ巴に三階菱。

やはりここも小倉藩主、

小笠原家の御威光が

いまも残っているようです。

参拝。

賽銭箱にも提灯と同じく、

三つ巴と三階菱があしらわれています。

拝殿右側の「水神社」。

拝殿左側の「火祖神社」。

本殿。

狛犬の彫刻は躍動感溢れる

素晴らしいものです。

反対側の彫刻。

拝殿前でツーショット完了。

境内社

すでに数社の境内社には

参拝していましたが、

残る二社を参拝します。

菅原神社へのエントランス。

菅原神社。

小さなお社ながら

木鼻の彫刻には目をみはります。

吽形。

こちらはもう一つある

境内社のエントランス。

御祭神は不明。

これにて、

正ノ宮正八幡神社の参拝は完了です。

 

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