肥前鳥居(長崎県平戸市)

 

肥前の石文化

肥前(長崎、福岡の一部を含めた地域)には

独特の石文化があります。

佐賀県牛津町には

「肥前砥川石工の里」があって、

この地域には江戸時代以前から

素晴らしい石工たちがいて、

肥前鳥居や肥前狛犬をはじめ、

数多くの石を使った作品を

肥前藩に残しています。

以前行った石工の里。

この地域に鎮座する

内砥川八幡宮の肥前鳥居。

建立時期は浸蝕により

読めないそうですが、

形からすると1570年ころの

可能性もあるようです。

このころが肥前鳥居発祥かと

思われます。

このような石の文化は古代の

朝鮮から伝わったそうで、

同じ佐賀の有田焼と同じように

異国の文化をうまく日本流に

噛み砕いて、それを新たな日本文化として

花開かせる日本人ならではの

業だったのでしょう。

亀岡神社の肥前鳥居

平戸城のブログで書いた、

明治になって建立された神社に

何故江戸時代初期型の肥前鳥居が

あるのかという疑問が解けました。

元々は平戸町中の七郎宮にあった鳥居を

ここ平戸城跡(亀岡神社)に

移設したのです。

大変な作業だったでしょうね。

それにしても昔から

大津城の天守を彦根城に移設するとか

現代のテクノロジーでも難しそうなことを

かなり多くやってきた日本の匠たちには

本当に頭が下がります。

ネットで調べでは、

この鳥居、1619年、

藩主、松浦隆信公が寄進したそうで、

確かに形が、肥前鳥居の前期型です。

石をブロックのように継いだ

工法が肥前鳥居の特徴。

接着もせず400年もの長い間

崩れないのが不思議です。

ここでまた一つここで疑問が…

向かって右の柱は石の接ぎが三カ所、

向かって左は通常の二カ所。

う〜ん何故なんでしょうか?

余った材料を有効に使ったのか、

それとも左右非対称にする

意味があったのか…

謎です(笑)

参道(大手道)を少し歩き

振り返った写真。

今の雰囲気に馴染んでいて、

肥前鳥居はやはり素晴らしい!

 

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