鳥居橋(大分県宇佐市)

 

強い意思

宇佐市公式観光サイトによると

「大分県は全国で最も

石橋が多い地域でありますが、

中でもこの宇佐市院内町には

75基もの石橋が残されており、

うち、アーチ橋(めがね橋)は

64基と日本一を誇っています。」

このように書かれています。

小さな町の中に、

これほど多くの石橋があるのは、

石橋が作られる要素、

「需要、技術、材料、人」

すべてが揃っていたからですが、

それは、

「是が非でも石橋を造る」という

「強い意思」があっての事。

石橋は間違いなく、

院内町の方々の

大きな誇りと言えるでしょう!

鳥居橋へ

宇佐市の海岸近くから、

山間部に位置する

院内町中心部に向かう途中、

立ち寄ったのが鳥居橋です。

橋の近くには停めやすい駐車場が

完備されています。

トイレも綺麗。

「鳥居橋」

と書かれていますが、

鳥居橋ではなく

冒頭に書いた、

院内町一帯の石橋群についての

案内になっています。

大きなクスノキの向こうに

鳥居橋はあります。

(手前の橋は「新鳥居橋」)

ここから階段を降り、鳥居橋へ。

先程のクスノキ。

太い幹の方の樹齢は、

恐らく300年前後。

鳥居橋よりもはるかに先輩ですが、

橋を造る時には、

相当に邪魔だったはずですが、

伐採せずに残されています。

いや、

もしかするとクスノキを避けて

橋の位置を決めたのかも知れません。

想像が膨らみすかな?(笑)

鳥居橋。

アーチをくぐって反対側へ。

こちらからだと

鳥居橋の特徴がよくわかります。

川岸におりて撮影。

橋下から。

真下から。

再度反対側に出て撮影。

ここで記念写真。

妻はアーチ橋になり切り(笑)

このあと、

実際に鳥居橋を渡ってみます。

鳥居橋。

案内を書き出すと

以下になります。

「鳥居橋 (県指定有形文化財)

所在地:宇佐市院内町香下(恵良川)

架設年:大正5年(1916)

石工:松田新之助 設計者:都留誠清一郎

橋長:55.15m 橋幅:4.35m

橋高:14.05m 連数:5

天に伸びる細く長い橋脚から

「石橋の貴婦人」と称され、

リズミカルな5連アーチの美しさを見せる

宇佐市院内町を代表する石橋。

名前はこの地区の小字名である

鳥居原から採られている。

昭和26年10月、町内242戸もの家屋を

全壊流出させたルース台風をはじめ

幾度にわたる洪水にも耐え抜いてきた石橋で、

地盤と水流に応じた設計の確かさと

石造アーチ橋の強度を改めて感じさせられる。」

渡ります!

橋の中程から見た下流の風景。

鳥居橋を渡り終えて

正面に見えてきたのが、

カイズカイブキに囲まれた一角で、

何やら案内があります。

「大蔵山烽火台跡」

要約すると

「文化五年八月(1808)

フェートン号事件をきっかけに

幕府の命により中津藩は

緊急通信手段である烽火台を

3箇所の山に設置。

そのひとつが大蔵山である。

現在の大蔵山山頂には、

川原石で築いた烽火台が

良好な保存状態で残っている。」

このようになります。

戦国時代、

長篠の戦いでも使われた烽火台が、

江戸時代後期になっても

新たに造られるというのが、

ちょっと面白いですが、

無線電話の発明は、

明治時代の事ですから

仕方ないですね(笑)

案内と関係あるのか

ないのかはわかりませんが、

生け垣の中に入ってみました。

何かの石碑です。

安倍守衛翁之碑。

偉い人でしょうが、

全く何者なのかは不明なまま

鳥居橋へ戻ります。

アーチ橋型デザインの

橋の案内。

アーチ橋の造り方。

以前、長崎歴史文化博物館で見た

模型を思い出しました。

その模型はこちらです。

この模型の印象が強烈だったお陰で、

僕はアーチ橋を見るたびに、

骨組みを想像してしまいます(笑)

平行に架かる、

新鳥居橋から鳥居橋を撮影。

こうやって見ると、

「貴婦人」と称される

橋脚の美しさがよくわかりますね!

新鳥居橋を渡りきったところで、

鳥居橋の散策は完了です。

 

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