豊国(ほうこく)神社(2017年春旅)(大阪府)

 

戦国の三英傑

僕にとって、子供時代の歴史的な

ヒーローは豊臣秀吉でした。

百姓から天下人になるという

このストーリーだけでも

面白過ぎるもので、

夢中になって伝記を読んだものです。

そして、秀吉の政権が続かなく、

江戸時代になってしまったことが、

とても残念に思え、家康め!(笑)

な〜んて子供心に思っていました。

やがて、大人になり、

そして、老年になり(笑)

戦国時代の三英傑と呼ばれる

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を

知れば知るほど、

僕は家康が天下をとって

本当に良かったという

考えに変わりました。

今の日本があるのは、

江戸時代があったからこそで、

もし豊臣の時代が続いていたら

江戸時代以上のものには

なれなかった気がします。

豊国神社へ

大阪城の桜門から少し南に

豊国神社は鎮座しています。

豊国と書いて、「ほうこく」と

読みますが、京都の豊国神社は

「とよくに」と読みます。

何だか栃木県の2つの「二荒山神社」を

宇都宮鎮座の方は「ふたあらやま」

日光鎮座の方は「ふたらさん」

と呼ぶのと同じ感じを受けました。

大阪城の城内に鎮座しているので、

大阪城の見学ついでの人も

いるようです。

大阪城ほどではありませんが、

ここも人でいっぱいです。

手水をして少し進むと

豊臣秀吉公の銅像が見えてきます。

初代の銅像は戦時供出で失われ、

その後60年ほど経過後、

ここに再度建立されました。

像の作者は中村晋也という人で、

この方90歳を超える今も

現役で活躍されていて、

今治城の藤堂高虎像なども手がけた

日本有数の彫刻家です。

僕がこの像を見たとき、

天下を統一する途上の、

人たらしで、明るく快活な秀吉ではなく、

甥の秀次一族を皆殺しにしたり

自分の権力を何とか繋ぎたいと

なりふり構わぬ暴君となった

ダークサイドの秀吉を感じました。

そして、銅像が目を向けた先には

大阪城の天守があります。

その天守があるのは、

大坂の陣で焼け落ちた秀吉の大阪城を

埋めて、その上に徳川氏が建てた場所で、

秀吉の大阪城もデザインに取り入れた

今の天守ではありますが、

秀吉の大阪城天守とは方向が違います。

その徳川時代の天守方向を見つめる秀吉、

心に秘めた恨めしさも銅像の表情に

こめられたのかも知れません。

作者に聞いてみたい気もしますね。

この日は朝から雲っていましたが、

ここに来た途端に青空が見えてきて、

なんだか歓迎されている感じで、

秀吉公にダークサイドなんて思って

失礼?だったかも知れません(笑)

初詣でもないのに

参拝の順番待ちで並びます。

満開の桜と行列。

本殿。

祀られている神様は、

豊臣秀吉、秀頼親子、

秀吉の弟、秀長の三柱です。

境内社へ

豊国神社の境内社は

二社に参拝しましたが、

どちらも「お稲荷さん」でした。

白玉神社。

御祭神は宇迦御魂神。

神額は白玉神社の他、

合祀されたであろう

他の三社も掲げられています。

七夕神社か…福岡の小郡にもあるな…

なんてブツブツ言いながら参拝。

若永神社。

こちらも御祭神は、

お稲荷さんと呼ばれる、

宇迦御魂神。

参拝後は、御朱印をいただきに

社務所へ向かいます。

ちゃんと「大阪城」という文字が

入っていて、

やはり豊臣秀吉と大阪城は

切っても切れないご縁があるようです!

今日の癒し

拝殿横のしだれ桜。

ソメイヨシノの薄いピンクと比べ

濃いピンク色なのも可愛らしくて

癒されますね。

 

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