本妙寺・加藤清正の墓(熊本市)
加藤清正の遺言
熊本城の天守と同じ高さの所に
墓を作るよう遺言した清正公、
その遺言通り、亡くなってから
400年以上経った今もそのお墓から
熊本城下を見守っています。
やはり、清正公が慕われる所以は、
精強な武将の一面とともに、
こんな優しさにもあるのでしょう。
大本堂
まずは、駐車場前の
大本堂から拝観スタート。
本妙寺の境内地図。
勅願道場門。
大本堂。
西南の役で焼失し、
明治27年、落慶しています。
斜めから。
石段を利用し俯瞰撮影。
立派としか言いようがない大本堂です。
本堂の左側にはいくつかの
石塔や供養塔などがあります。
ここで、ツーショットは完了。
浄池廟(清正公の墓)
次にここに来た一番の目的、
清正公のお墓である
浄池廟(じょうちびょう)へ。
「胸突き雁木」と呼ばれる石段。
奉納された燈籠で、
埋め尽くされています。
かつては真ん中の雁木(石段)を
上り下りしていたのでしょう。
(現在は左右の石段を使います)
常夜燈。
案内によると
「清正公の嗣子忠広公は、
ここに常夜燈を建立し、
この灯りをたよりに遥か熊本城より
朝夜御父君の御廟所を
拝礼されたという」
このよに書かれ、
その石垣だけが残っていたそうです。
その後、
昭和49年に寄付により
建物が再建されています。
中門。
浄池廟の拝殿。
左側から後ろの浄池廟へ。
浄池廟(加藤清正公本廟)
石垣の上に玉垣が巡らされ、
ガードは鉄壁ですね。
左正面から。
お参り。
桔梗紋と蛇の目紋は
ここにもあしらわれています。
お墓の案内。
「浄池廟は、正面に
清正公の木像を安置しているが、
その真下に清正公が葬られており、
この建物全体が
そのまま清正公のお墓である」
天下人でも無く、
一人の武将のお墓として、
これほどの大規模で手厚いものが、
他にあるのでしょうか?
加藤清正公のご遺徳には、
ただただ、敬服するばかりです。
浄池廟向かって右側には、
殉死した家臣の墓があります。
大木土佐守兼能の墓。
論語猿。
栗毛堂。
狛犬がちょっよ愛らしい。
吽形はさらにユニーク。
加藤清正公の栗毛の愛馬像。
熊本城天守と同じ高さ
冒頭に書いた通りに
清正公のお墓が、
熊本城天守と同じ高さにある事が、
展望台からの景色で確認が出来ます。
やはり同じ目線ですね!
もう少しズーム。
よくぞ同じ高さを測れたものと
関心してしまいます。
清正公御銅像
お墓からさらに300段の石段を登って
清正公御銅像へ。
ここからスタート。
尻が痛い(笑)
なんとか頂上へ。
清正公御銅像に参拝。
ズームして撮影。
後ろ姿にも隙がありません。
そして、像の台座には、
清正公御銅像の
歴史が綴られています。
「御銅像再建の記」
超訳すると、
「昭和10年4月、北村西望氏により
制作された銅像は、
大東亜戦争時に金属供出され、
永らく台座を残すのみとなっていたが、
昭和35年、
同じく北村西望氏により再建。
再建に先立つ昭和32年、
名古屋城天守再建を担った
株式会社間組の神部社長は、
本妙寺より
加藤清正の尊霊を名古屋城の
建設現場に迎え奉り、
朝夕ひれ伏して祈願し、昭和34年夏、
名古屋城の再建は無事完成。
同じ年9月の伊勢湾台風の猛威にも
名古屋城は瓦一枚、ガラス一枚、
樋一ヶ所の損傷もなく、
その名古屋城の姿を見た罹災者達は、
これ偏に清正公の御威徳の賜物と
勇気づけられ復興に立ち上がった。
この経緯もあり、
神部社長からこの御銅像が寄付された」
こんな感じです。
今も残る名古屋城の天守石垣は
加藤清正公の指揮により
完成されていますので、
神部社長は清正公への思い、
ただならぬものもあったのでしょう。
展望台
先程のお墓よりも
300段上ですから
ここからは、上から目線(笑)で
熊本城天守を見下ろしてみます。
案内。
お~やはり上からですよ!
清正公は、お墓と、銅像のダブルで、
熊本の復興を見守ってくれています。
帰路
帰りは下りなので、楽ちんです。
中門前から熊本市内方面を撮影。
途中、忠広公の墓にもお参り。
最後は仁王門をズームで撮影し、
これにて、本妙寺参拝は完了です。