いも代官ミュージアム(石見銀山)(4)

 

鬼に金棒

いも代官ミュージアムの出入りは、

建物真ん中の玄関一箇所(多分)

そこから入って両サイドに

展示場が配置されています。

ただし、非常時には

展示場から即座に脱出できる

有難い出口も設られ、

安心安全に抜かりはありません。

最後に巡った部屋。

奥のシャッター上方には

「非常口」のプレートがあり、

ここさえ覚えていれば、

何が起きても鬼に金棒でしょう(笑)

超マニアック

最後に巡ったのは、

僕からして、

超マニアックな内容の部屋です。

江戸時代18世紀の作品、

「石見国絵図」

北側(海岸側)から見た図なので、

石見銀山から見て

西に位置する津和野城

右端にあります。

こちらも同じく

北側から見た石見国絵図です。

「銀山附御料海岸絵図」

日本海側からの俯瞰図ですが、

地形など実によく描かれています。

「石見銀山絵巻」

採鉱から大坂上納までの

一連の流れの絵巻で、

佐渡金山絵巻を参考にしていると

書かれています。

左、「坑道図面」

案内を抜粋すると以下になります。

「新切山の坑道図面。

この行動は「二重穴」と呼ばれる

高度な工法によって採掘されたもので、

上部の「大切」と下部の「水道」を

「尺八」という竪坑で連結させる構造。

これにより坑道内でも

空気の循環がしやすく排水の便にもよいが、

多額の公費を要するため

代官所の直営で行われることが多い。」

次に、

右、「銀山麁絵(そえ)図」

以下、案内です。

「銀山を描いた絵図。

仙ノ山と要害山を

起こし絵で描写している点が

特徴的である・絵図には

間歩や社寺の情報が配置されている。

また、東西に延びる線は

鉱(鉱脈)を表したもので

西方分15本、東方分33本が

描かれている。」

左、「葵御紋小旗」

「灰吹銀などの運搬時に

付けられた徳川将軍家の家紋」

権威を見せつけ、

銀の盗難防止などに

役立ったのかもですね。

真ん中、「銀十貫目箱」

灰吹銀、年貢銀などの運搬に

使用されたものです。

右、「大坂銀納御用留」

江戸時代の銀貨など。

壁に掛けられた棟札みたいなのが、

文化十二年(1815)の

大森陣屋門長屋普請札。

下は、大森陣屋の絵図2種類。

貸付制度、年中行事など。

「大森陣屋の公金貸付」

公金を各方面に貸付、

利益を運用していた制度。

「無名異の製造」

無名異とは酸化鉄を主成分とする石薬で、

江戸幕府への献上用のみだったものが、

江戸時代中期以降、一般の薬として

販売が認められたと書かれています。

大森代官所の貸付銀制度。

超簡単に言えば、

産銀領の減少を受けて

発達した全国に銀を貸付け、

銀山経営を円滑にする制度です。

「陣屋の人員構成」

「銀山附地役人」

人についての説明です。

もうマニアック

過ぎて、流し読みというか

ほぼスルー気味(笑)

さらなる深掘り、

地役人の出身地。

石見国が圧倒的多数です。

書類色々。

ここまで深く紹介してくださる

いも代官ミュージアム、

石見銀山の深掘りしたい人には、

超オススメの施設です。

(完)

 

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