医王寺(2019年福山の旅)

 

展望スポットは次回・・・

町中の歴史ある神社仏閣などや

映画のロケ現場の散策もさることながら

俯瞰して街全体を見渡すのが、

鞆の浦という町を

より堪能出来る秘訣でしょう。

僕は今回、旅する前に

二つの俯瞰スポットから

鞆の浦を眺める予定にしていました。

その一つが、

今回参拝した医王寺本堂から

さらに20分ほど山を登った所にある

太子殿という場所で、

もう一つは、鞆の浦の

西側、高い山の稜線を通る

グリーンラインという

ドライブウエイにある展望所です。

しかし・・・

この二つとも訪問は実現しませんでした(悲)

前者は、僕たちの体力の限界(汗)

翌日に行く予定だった後者は、

「雪」のため断念・・・。

もちろん翌日の珍しい雪のお陰で、

日頃見ることが出来ないであろう

寺社や福山城の雪景色を

堪能出来た事を思えば、

雪もまた僕たちの優しい味方だったのは

言うまでもありません。

展望スポットは次回のお楽しみという事で、

やはり鞆の浦にリピーターになるしか

なさそうです(笑)

医王寺へ

沼名前神社で、

お弓神事に感動した僕たちが

次に向かったのが、小高い丘の上にある

医王寺というお寺です。

上り坂の150mなので、

平地の300m位の感覚でしょうか(笑)

情緒ある石畳。

「太子殿、明円寺、医王寺参道」

分かりやすいマップもあります。

医王寺の境内西側の入り口。

本堂に向かいます。

本堂も鐘楼も江戸期のもので、

かなり歴史的な建築物のようです。

ここで参拝・・・ではなく

いつものように

正面の参道からの出入り口から

一旦出て、石の階段をおりて、

改めて入り直しました。

正面から

こちらの山門がある参道が、

本堂の正面にあたります。

下まで石段を下りたら

戻ってくる気力がなくなりそうなので、

少しだけ下りてみました。

山門に吊るされた

大きなわらじに注目です。

足の健康を願ってとか、

健脚を願っての奉納でしょう・・

わらじの大きさがわかるように

奉納者に感謝しつつ

妻の足と比べてみました。

(写真は控えています)

しかし、

僕たちの足はかなり疲れていて、

この後、楽しみにしていた太子殿へいく

気力を奪ってしまったのです(汗)

山門向かって右側は阿形の仁王像。

左には吽形の仁王像。

「桃林山」の扁額。

まるで、お城のように立派な石垣は、

鞆の浦でよく見かける

花崗岩が使われているようです。

貞享2年(1685年)再建の本堂。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)。

こちらも江戸時代、

亨保7年(1722年)の建立です。

寛永19年(1642年)

建立の鐘楼。

鐘自体、以前のものは供出

(軍事供出かも?)され、

現在あるのは最近作られた

ものだそうです。

この鐘楼と

ここから見える鞆の浦の町は

テレビドラマ「流星ワゴン」でも

放映されたそうです。

妻は流星ワゴンを毎週見ていたのですが、

ここのシーンも含め、鞆の浦のロケ地は

あまり覚えていないようでした。

境内から見た鞆の浦の眺め。

境内にある愛宕大権現。

そして、

ここにも大伴旅人の歌碑があります。

解説を要約すると

「鞆の浦亡妻挽歌」三首のうちの一首

万葉集巻三ー四四八番歌。

天平3年(730年)

太宰府から都に帰る途中、

亡き妻を思い、

「鞆の浦のむろの木」を詠った

三首の歌を残した。

その三首目がこの歌で、

あとの二首は對潮楼の崖下と、

歴史民俗資料館の前庭に建っている。

歌の意味は、

「磯の上にしっかり根を張って

立つむろの木よ。

太宰府へ下る時、

妻や息子と一緒にお前を見たのだ。

しかし、その妻はもうこの世にはいない。

私の愛する妻が今どこにいるのか尋ねたら、

お前は私に教えてくれるだろうか」

~~要約終わり~~

愛妻家だったであろう大伴旅人の

悲しみがここ鞆の浦の

むろの木で発露されたのが、

よく分かります・・・

妻が亡くなってわずか数年後に

大伴旅人も亡くなっていますから

妻の存在は大きかったのでしょうね・・・

最後はしんみりしましたが、

太子殿、次回は行くぞ!(笑)

 

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