石垣山城(神奈川県小田原市)
空前絶後?の陣城
陣城とは、
戦いの為に臨時的に作る
「砦の大きいバージョン」
のようなもので、
柴田勝家が秀吉との戦に備え、
滋賀と福井にまたがって築き本陣とした
玄蕃尾(げんばお)城も
その一つですが、写真で見る規模は、
「砦の大きいバージョン」の域を
そんなに越えていないようです。
(未訪問なので勝手な想像)
ところが、豊臣秀吉が築いた
小田原攻めの陣城、石垣山城は、
総石垣の巨大な城で、
陣城の概念を覆すもの。
まさに空前絶後の陣城と
言ってしまいそうですが、
実はこの僅か1年後、
秀吉は石垣山城が霞むくらいの規模で、
驚くような陣城を作っています。
それが
戦国武将オールスターキャストで行われた
朝鮮出兵のため
佐賀県に築かれた「名護屋城」です。
あれ?
話はいつの間にか神奈川県から
佐賀県になってしまいました(汗)
二の丸
石垣山城前にある
身も心も、そして・・・
胃袋も(笑)癒やされた後、
ようやく石垣山城の攻城に
取り掛かります。
案内。
僕たちは二の丸、井戸曲輪、
展望台、本丸、物見台、天守台、
西曲輪、南曲輪と巡って、
ここに戻って来る予定です。
石垣山城復元模式図。
多くの石垣は、島原の乱後に
破壊されたり、関東大震災で、
崩れてはいるものの
史跡として修復された所も多く、
見所は尽きません。
二の丸の石垣。
二の丸。
向こうに見えるのは本丸石垣です。
櫓台跡。
井戸曲輪
次に石垣山城ならではの
巨大な井戸曲輪へ。
二の丸から下って行きます。
凄い石垣!
井戸だけなのに、
ここまで巨大な曲輪を何故作ったのか?
しかも四方は巨大な石垣の塀だし・・・
権力を見せつける為?
それとも一説による
「茶々(淀君)の為」なのか・・謎です。
井戸本体。
今でも水は出ているそうです。
全体像は写真では収まり切れないので、
動画でも撮影。
眺望
二の丸から北側に歩いた
端っこに展望所があります。
ここから小田原城が見えるのか!?
全く方向違いでした。
この後、少し戻り井戸曲輪の上方から
景色を見てみると、
これがかなりの絶景なのです。
手前が井戸曲輪の石垣、
向こうに見えるのが
小田原市内、と相模湾です。
少しズームして撮影。
小田原城が見えるかも?
そう思ってなかなか出番が無い(笑)、
秘密兵器をここで投入。
秘密兵器(双眼鏡)で確認する妻。
お~!!
見えていますよ、小田原城が!
これで、
益々テンションアップです(笑)
本丸
次は本丸へ。
二の丸から見た本丸石垣。
ここで見つけたのが、こんな案内です。
「石垣山の縄張りは誰が?」
案内によると、
石垣山城と冒頭に書いた、
肥前(佐賀)の名護屋城の縄張りは、
類似点が多いそうです。
この案内には書かれていませんが、
Wikipediaによれば、
名護屋城の縄張りは黒田官兵衛。
そして、また案内では、
石垣山城にも黒田官兵衛は
参陣していたそうですし、
大阪城の縄張りもした人ですから
官兵衛さんで決まりで
いいんじゃないでしょうかね(笑)
本丸登城口から二の丸を眺める。
本丸から二の丸、相模湾の景色。
ここは、実に風光明媚なお城です!
本丸物見台。
物見台の案内。
景色。
ズームすると小田原城も
しっかり見えていますね。
やはりここでツーショット。
本丸の案内。
一夜城伝説についての記述があります。
本丸の神社に参拝。
古い祠にも参拝。
天守台
本丸の隅にあるのが天守台です。
五層の天守があたっとか
言われていますが、
この規模では櫓台程度ですね。
恐らく、400年の歳月の中で、
周囲は壊れて(壊されて)
しまったのでしょう。
西曲輪から見た天守台の石垣。
さらに引きの写真。
この規模ならば、
五層の天守は現実的かな?
門
最後に門を通って戻ります。
小規模な桝形虎口的な道。
この先が門跡です。
最後に南曲輪の石垣を見て、
石垣山城の散策は完了です。
今日の注目(2つ)
注目1つ目はトイレ。
「一夜城前トイレ」
ちゃんと名前までつけてある
自然の摂理を重要視した
エコなトイレです。
トイレの全景。
そして、2つ目が、
自動販売機です。
おみやげ自動販売機。
凄いじゃないですか!
箱根名物、寄木模様のマスクですよ!
しかもマスクは「つめた~い」の
部類に入ることも
初めて知ることが出来ました(笑)