2018/01/05

名護屋城の旅

 

お城に興味を持って

「なごや城」と聞けば多くの方が愛知県の「名古屋城」と

頭の中で漢字変換をすることと思います。

もちろん僕もそうでした。

そして、発音が同じ「なごや城」が佐賀県にもあって、こちらは「名護屋城」と書きます。

僕は半年前、お城に興味を持つまでは、佐賀県の名護屋城について、

豊臣秀吉の朝鮮出兵の前線基地だったことくらいしか知りませんでしたし、

ましてや訪問しようと言う気持ちなどは皆無でした。

今回、初めて名護屋城を訪問し、その外観(城趾)と史実を知れたことは、

僕にとって素晴らしい出来事になりました。

名護屋城へ

唐津市から車で40分くらい、イカで有名な呼子にも近い場所に、名護屋城はあります。

天守閣や櫓(やぐら)などの建造物はありませんが、広大な敷地に石垣なども多く残っており

とても綺麗に整備されていて、しかも隣接する「佐賀県立名護屋城博物館」が素晴らしくて、

名護屋城のジオラマなど展示物も多くあり、入館は無料という至れり尽くせりなのです。

極めつけに素晴らしかったのが「バーチャル名護屋城」というタブレットの貸し出し。

なんと、これも「無料」なので、佐賀県民の税金でまかなっているのに大丈夫なの?なんて

心配してしまうくらいです(笑)

ただ、佐賀県がそれほどまでに名護屋城に力を入れているのには感動しました。

佐賀県立名護屋城博物館

整備された綺麗な駐車場に車を止めて

まず向かったのが名護屋城博物館です。

駐車場から見る名護屋城博物館(左上です)

いかにも手前のスタイリッシュな赤い車が僕の愛車みたいですが、違います(笑)

名護屋城の広大な敷地と周辺の案内です

名護屋城博物館を入るとすぐに「木下延俊陣跡散策道」の案内があり、

この横の出入り口から陣跡を回れるようでした。

ただ、時間が無かったことと、この時点で木下延俊という人が

どんな大名かも知らなく興味が無かったので素通りでした(笑)

実はこの木下延俊が大分県日出(ひじ)の初代藩主だったと知ったのは

後日、日出城に行った時で、今考えれば見学していれば良かったと思っています。

これは名護屋城のジオラマ

やはり立体的な模型があると全体像が想像出来ていいですね。

秀吉軍の軍艦の模型なども展示され、見応えありましたが、

城内へとはやる心を抑えきれず、軽く流す感じで、バーチャル名護屋城のタブレットを借りに

博物館入口へ戻りました。

城内へ

観光案内所が城内への入口です。

入場無料ただし清掃協力金として一人100円支払いました。

そして、いよいよ城内へ。

 

大手口あたりの立派な石垣で、テンション上がります!

案内板には全国から集まった大名たちの「陣跡配置図」があり、

徳川家康をはじめとして、加藤清正、伊達政宗など

全国のなだたる武将達が「全員集合」していた希有なお城だということが分かります。

戦国オールスターキャストをここに集めた秀吉はやはり凄いですね。

武将たちのリストを見ていて、1カ所?と思った人がいました。(あえて武将とは言わない)

そこだけ拡大して見ると…

「足利義昭 兵の人数は500人(右の数字が兵の人数です)」

足利義昭ってあの室町幕府最後の将軍、足利義昭公ではないですか!

織田信長に追われて京を離れてどこか遠くへ行ってしまったことは知っていましたが、

まさかここに来て朝鮮出兵に参加していたとは驚きでした。

後で調べたら、秀吉が庇護?していたらしく、

ここへも顔見せて!とお願い(命令?)したらしいのです。

「ブランド大好き太閤殿下」の真骨頂とも言えますね。

「足利ブランド」「元将軍ブランド」?この時点でも果たしてブランドになったのかどうか、

または元将軍様(腐っても鯛)でもこの作戦に参加しているんだぞ!

だからみんな頑張れ!という気持ちもあったのか…

それにしても面白いですね。

やはり歴史は「本」で学ぶのでは無く、「足」で学ぶんだと納得しました(笑)

大手口

お城の玄関みたいなところである大手口から散策開始です。

名所ごとに配置されている案内板は有田焼風(本物か?)で高級感があり

文章と図解で詳しく説明がありますので、本当に分かりやすかったです。

大手口にある櫓台(やぐらだい)

大手口から東出丸への通路(左の低い石垣)と東出丸(右の高い石垣)

広場になっているところは芝生が敷き詰められているようで、ゴルフ場のイメージでした(笑)

東出丸

大手口から東出丸までの道のりは、タブレットのバーチャル名護屋城で見ながら歩くと、

まるで、武士になった自分が登城しているような気分になれてかなりテンション上がりました!

東出丸の案内板

東出丸(左は櫓台)

東出丸から呼子大橋を臨む景色。

そして…

櫓台でファイティングポーズ?をとる妻。

これから戦いにでも行くつもりなのか?(笑)

三の丸

東出丸の奥は三の丸です。

今は木々の緑が鮮やかですね。

三の丸にある井戸の跡

この井戸にタブレットをかざして見ると

お〜!秀吉達が居た時代のままの井戸が出現しました!

もちろん周囲の建物も再現されているので、タイムスリップした気分になれます。

本丸大手

三の丸を過ぎると本丸への通り道「本丸大手」です。

石垣や石段も当時のまま残っています。

本丸大手の案内も分かりやすくて親切です。

ここも本丸大手の

石垣の上にあがる広い階段。

本丸

ついに本丸に着きました。

この先端部分に天守が建っていたようです。

バーチャル天守(笑)

ここに本丸御殿があって、その奥(海に面した側)に天守があったことが良くわかります。

そして、ついに天守台に到着しました。

この位置からでもかなり眺望がいいですが、天守閣のてっぺんからだとまた格別だったのでしょう。

朝鮮へ向かう船団が目に浮かびました。

 

天守台から海側の遊撃丸を撮影。

恒例、ツーショットは戦前建てられたであろう天守台跡の石碑の前で撮影しました。

本丸の端に「本丸旧石垣」があって、名護屋城は何回か手を加えられて今の形(といっても跡だが)

になったそうで、秀吉も作ってみたはいいが、

「やっぱここ気に入らない〜!作り直し!」なんてやったのでしょうかね(笑)

図面だけでは使用勝手まで分からない部分も多いですから。

こちらが旧石垣の一部(発掘された部分)です。

今回僕たちが行ったのはここまでです。

名護屋城は、僕たちが行った以外にも、

二の丸、弾正丸、搦手、馬場など見所はたくさんあります。

そして、見所と言えば、ここに集まった全国の大名達の「陣跡」で、

全部で130カ所くらいあり、そのうち23カ所が見学可能な陣跡ということで、

名護屋城のすべてを細かく回るとしたら丸3日くらい(大袈裟ではなく)かかるのでは

ないかと思いました。

これだけの城跡群とタブレットのバーチャル名護屋城をはじめとした

「おもてなし」はなかなか類を見ないものでしょう。

次回は、より詳しく堪能したいと思いながら名護屋城を跡にした僕たちでした。

今日の癒し

道案内

各所に配置された説明図とは別に場所が変わるごとに表れる道案内です。

どこに行くのかの名前だけでなく、小さな地図まで付いていて、

このお城のそして佐賀県の親切さにに癒されました。

 

 

 

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