浄満寺(福岡市)亀井南冥の墓

親子で偉い人
偉い親を持つと、
その子供は、同じく偉人になるか
残念な子になるか、
両極端な例が多い気がします(笑)
亀井南冥さんの息子、
昭陽さんは前者で、
お父様に並ぶほどの
偉い学者さんになっていますので、
まずは、めでたしですね(笑)
想像の域ですが、
親子で偉い人になれると言うのは、
相当に親子関係が円満だったか、
息子の反骨精神が強かったかの
どちらかなのかも知れません。
山門
金龍寺で貝原益軒の墓に参拝後、
大通りを挟んで向いにある浄満寺へ
徒歩で向かいます。
金龍寺を背にして浄満寺を望む。
山門。
趣のある標柱。
「浄満寺」
案内を書き出すと
以下になります。
「寺伝によれば、天正元年
(1573)の開基とされます。
境内には、医師、儒学者で
福岡藩の藩校西学問所(甘棠館)の
館長であった亀井南冥と、
その長男で父に勝る学者といわれた
昭陽ら、亀井家一族の墓があります。
南冥は、天明4年(1784年)
志賀島で発見された金印について考証した
「金印弁」を著述したことでも
知られています。
亀井家の門下には、
広瀬淡窓、平野國臣、高馬乱がいます。
この亀井家の墓13基は、
県指定の文化財となっています。」
ここに書かれた「金印弁」、
僕たちは昨年、
能古島博物館で一部を見ていますが、
妻は忘れているでしょう(笑)
ちなみにその時の写真ですが、
「金印辨」が正式名称のようですね。
本堂
お墓参りの前に、まずは本堂へ。
参拝。
本堂を後に南冥さん達のお墓へ・・
亀井家墓所
こちらの納骨堂っぽい建物、
かなりいい感じです。
納骨堂じゃなかったら・・
ごめんなさい(汗)
(推測のみで書いています)
墓域。
亀井家のお墓が一番奥にあるのを
妻が発見。
お墓の発見が早いのも
妻の特技の一つになっています(笑)
お墓に到着。
13基の墓に眠る人々。
南冥さんと昭陽さんの他、
気になるのは、
亀井南冥の孫娘、
後列の雷首夫人「小栞」さんです。
「小琴」とも呼ばれていた人物で、
以前この方の書を
兵庫県の柏原八幡宮の
狛犬の台座で発見したので、
ずっと気になっていましたが、
お墓もちゃんとあったんですね。
(当たり前か・・・)
皆様に参拝。
南冥さんと奥様(右)
そして、南冥さんの左奥に見える
「小栞女史墓」と刻まれた、
小栞さんの墓にも参拝。
「飛行機雲がまるで
南冥さんの魂のようやね!」
妻がそう言っていましたので、
間違いないでしょう!(笑)
昭陽さんと妻(右)に参拝。
今日の名言
山門前に掲示されていた言葉。
「人生は やり直しは できないが
見直しは できる」
いや〜これは素晴らしい!
僕も妻も大納得で、
早速、色々と見直す事に?(笑)