回天記念館(山口県周南市)
戦争を伝える施設の普遍性
地方の、いわゆる「箱物」と言われる
観光客の集客目的に作られた施設は、
開業して、数年もたたないうちに
廃れてしまうものが多い中、
「戦争の悲惨さ」「平和の尊さ」を伝える、
戦争に関する記念館などは、
年月が経つにつれ、進化を遂げています。
もちろん、ここ回天記念館も、
常に内容の充実が図られて来たようです。
やはり、
元々の「人々の思い」と「真実の歴史」の
裏付けがあるかないかが、
「ただの箱物」との
大きな差になっているのでしょう。
多くの人に戦争を伝え、
結果、平和の尊さを肌で知る、
このような場所が、発展出来れば、
日本の将来は、
明るいのではないかと思います。
回天記念館へ
回天訓練基地跡を訪問した僕たちは、
次なる目的地、
回天記念館へと向かいます。
遊歩道案内図。
右側の塀は、
住民が基地を覗けないように
高くしてあります。
昔の基地は、現在、
大津島中学校、小学校、幼稚園の
敷地となり、軍事施設としての
面影はあまりありません。
それで、いいのですが・・・。
回天記念館近くの
写真付きルート案内。
「大津島回天碑及び回天記念館沿革」
最初の回天碑は終戦直後の
昭和20年11月10日、
民家の庭石の寄贈を受け建立されたと
書かれています。
終戦で、特攻など戦争全部が
否定されたご時世にもかかわらず、
気持ちを形にするために、
まずは「建てる」ことを成し遂げた
当時の方々に頭が下がります。
エントランス。
両脇の柱に刻まれた文字を読むと、
神社の注連縄柱だったもののようです。
御英霊を祀るのにふさわしい石柱です・・。
道の両脇には回天で亡くなった
烈士の方々全員のネームプレートが、
小さな墓石のように並べられていて、
何だか回天の特攻隊員たちが、
両脇に立って、
「僕たちを忘れないでください」
「ここに来てくれてありがとう」
そう言われているようにも感じられ
何とも神聖な気持ちになります。
隊員たちの歓迎を受けた一直線上が、
回天記念館の入口です。
館内は撮影できませんので、
写真はありませんが、
元隊員の映像や、写真パネルや
遺品の展示など、
大変分かりやすく案内され、
回天記念館を維持管理する方々の
熱い思いがひしひしと伝わってきます。
回天の実物大レプリカ。
弾頭・・・。
潜望鏡と菊水マーク。
この下の小さな空間に潜り込んで、
回天を操縦した隊員たちの
精神力は計り知れません・・・
後方から。
回天の元となった
九三式酸素魚雷のエンジン。
回天碑。
俳優、森繁久彌の石碑。
「浮きつ島鼓海を訪ふ」
「天を回せよ
今は嗚呼 鼓海の波は静かなり
その勲しの あとや 哀し
大津島に鎮もれる 魂々よ
しずかに思ふ 人生に無駄なものが
あらふか 眠れ友よ いかにも
碧き 海に」
心に突き刺さるような詩ですね・・・
「人生に無駄なものが あらふか」
ここが特に・・・。
ここで、まさかの発見が。
巨人軍、長嶋茂雄の石碑です。
いつも明るく、
天真爛漫のように見えて、
来るべきところには
ちゃんと来られているのですね。
ギャップ萌えとはこの事かも・・・。
梵鐘。
梵鐘の案内。
「(前略)大津島を基地とし
「人間魚雷」として
散華した回天烈士と、なぞの爆沈をとげた
戦艦「陸奥」の犠牲者を悼み(中略)
戦艦陸奥の艦材を以て梵鐘を謹鋳し、
これを回天徳山基地に建立することとした」
「願わくば無名の防人として南溟の海深く
安らかに眠り度く存じおり候」という、
金剛隊・久住宏少佐の遺書も刻まれている」
こんな建立の思いを胸に、
妻も鐘を撞かせていただきました。
鎮魂の音色となったでしょうか・・・。
これで、回天記念館訪問は完了です。