権現山自然公園(長崎市)

 

軍艦島が俯瞰出来る場所

僕達は、ドローンも自家用ヘリも

持っていないので、

軍艦島を俯瞰(鳥瞰)するには、

自分自身が高い場所に行くしか

方法はありません。

そんな僕達にうってつけの場所が、

権現山自然公園です。

日本最西南端に位置する、

標高198mの権現山の上には、

展望台を設え、

僕たちの願いを叶えるべく

待ち構えてくれていました(笑)

日山神社

長崎市恐竜博物館から車で10分、

権現山自然公園の駐車場に到着です。

案内図はかなりの御老体ですが、

有ると無しでは大違い、

お陰で迷うことなく散策出来ました。

ここからスタート。

少し歩き、

まずは右に折れて神社へ。

鳥居。

実は、ここ裏参道ですが、

現在はこちらからしか

参拝は出来ないようです。

その理由は・・・

本参道の鳥居は、

貫も神額も崩れ落ちて、

立入禁止になっているからです。

ネットで以前の画像を見ると、

この鳥居は元治元年(1864)に

寄進されたようです。

元治元年といえば、禁門の変下関戦争

高杉晋作の功山寺挙兵など

歴史が大きく動いた年ですね。

回れ右して御社殿へ。

拝殿にて参拝。

展望台

次に展望台を目指します。

階段を使って上へ。

展望台。

案内を抜粋すると

「寛永十五年(1638)に

幕府の遠見番所が設けられた。

明治二十八年に海軍望楼が設けられた。

太平洋戦争当時は、

電探基地、高射陣地が設置された。

大戦後は米軍のレーダー基地となり

現在は自衛隊が使用している。」

続いて、

元禄時代に書かれた

「野母遠見番所制札」の

内容が書かれています。

外国船を見張って

不審船や不審者を長崎奉行に

報告するのが、番所の使命ですが、

興味がある所を書き出すと

「一、火の用心堅く相慎む可き事。

一、公儀之外、私用として

百姓漁師一切つかう事敷き事。

一、喧嘩、口論堅く停止の事。

一、博奕、賭の諸勝負

一切無用たる可き事。」

こんなものでしょうか(笑)

番所担当は、

かなり暇なポジションだったと見え、

時間があるがゆえに、

喧嘩も博奕も、

タバコを一服して火事も

それなりにあったと推察されます。

「小人閑居して不善をなす」(笑)

今も昔も、ヒマというのは、

どうも心の隙間を突いてきますね!

展望台から軍艦島を俯瞰。

少し霞んではいますが、

長崎に着いた時の

曇り時々雨の状態からすれば、

神がかり的な天気です(笑)

野母半島側の景色。

地名案内。

ここでツーショット完了。

発起の鐘(まごころの鐘)

展望台下の広場には、

一風変わった鐘楼があります。

和洋折衷というのかな?

展望台から見るとこんな感じ。

鐘の真下に配置された石には、

何やら刻まれています・・・

「まごころの かねは

のろしと なりわたり

さかいなきくに おこらんとする」

な~るほど!

ここは江戸時代、

遠見番所の狼煙台のろしだいがあった場所、

だから現代では、狼煙に代わって

「音で」知らせるという事なんですね!

鐘の由緒が書かれています。

一部抜粋すると

「発起の鐘頌

ここに国境なき世界ー

平和の地図を纏う梵鐘ある。

ヒロシマの<悲願>ナガサキの<発起>

あい呼応する両鐘。平和の証を促す。

(中略)

大戦の兆し、ノーモア戦争!ノーモア原爆!

岬ふく風 海わたる潮

山こゆる雲 鐘の心を伝えよ。

鐘声は まごころを発起し

韻々と 青い地球をめぐりやまぬ。

1982 原爆忌

まごころを発起する会 木津義彰」

このようになります。

40年前に書かれた碑文ですが、

今まさに、ロシアのウクライナ侵略で、

「大戦の兆し」でしょう・・・

時代は移れども、人類のやる事は、

何も変わっていませんね・・・

木津義彰さんが気になって

ネットでを調べると、

長崎市のお寺の住職さんで、

先日亡くなった、ソ連(当時)の

ゴルバチョフ大統領が来日し、

長崎のロシア人墓地に参った時、

案内をつとめた方でした。

軍艦島を見るだけの予定だったのに、

この時期、ここで、

こんな平和の象徴に出会うとは、

考えさせられます・・・

妻も平和を祈念して、ひと撞き。

現代の「のろし」、

世界中に響いたかな?

 

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