革秀寺(弘前市)津軽為信霊屋

 

初体験

僕たちが革秀寺を訪問した時、

車を停めた本堂の裏手で

工事をしていました。

その後、山門前を散策中、

工事現場の男性が、

通りがかりに声をかけてくれ、

革秀寺の概略と山門の天井絵の事など

親切に話してくれたのです。

さすがエンターテイメント青森(笑)

僕たちが出会う青森県の皆さん

とにかくフレンドリーなんですよ!

工事現場の人から

ボランティアガイドして貰ったのは

もちろん初体験です(笑)

山門

革秀寺への訪問の目的は、

津軽為信霊屋への参拝です。

寺頭。

参道両脇には、

堀のような広い蓮池があり、

寺社を防衛陣地的に弘前城

周囲に据えていた津軽藩の

周到さを垣間見る気がします。

奥へ。

下乗橋的な配置の橋。

冒頭に書いた

工事現場の方から

レクチャーを受けた山門前。

「仰髙門」の扁額。

山門の天井絵。

扉には、津軽家の家紋、

杏葉牡丹紋が彫刻されています。

本堂

山門をくぐると

歴史を感じる本堂が見えてきます。

茅葺が素晴らしい!

見入る間もなく、姿を現すのが、

こちらの愛らしいお方です。

「兎霊供養塔」

次に裏側を見ると・・

「昭和十四年四月 弘前養兎組」

兎の肉を売っている業者の方々が

建てられた供養塔なんですね・・

津軽為信に先駆けて兎さんに合掌・・

そして本堂へ。

ここで妻が雄叫びを!

「あれ、まじ卍!」

お〜津軽家の旗印「卍」ですね!

参拝。

「津軽山」の扁額。

本堂と霊屋の案内を

書き出してみます。

「革秀寺(国指定重要文化財二棟)

革秀寺は、弘前藩初代藩主津軽為信の

菩提寺として創建され、

本堂は江戸時代初期の建築です。

屋根は入母屋造の茅葺で、

大棟は箱棟で両端に鬼板が付き、

銅板の中央には卍紋、

左右に津軽家の家紋である

杏葉牡丹紋が施されています。

津軽為信霊屋は、

為信死後の慶長一三年(1608)

建立の記録があります。

文化年間に現在の妻飾や柱上部、

天井などを極彩色とする

修理が行われました。

外壁は金箔押で津軽家の家紋である

杏葉牡丹紋が描かれています。」

本堂の案内。

桃山時代の手法が散りばめられた

「内部」が見所のようですね。

本堂横から。

茅葺屋根の入母屋破風に

木連格子がはめられ、

なんとも渋いな〜!

津軽為信霊屋

次に津軽為信さんの霊屋へ。

霊屋の案内を抜粋すると

以下になります。

「津軽山革秀寺は、

津軽藩初代藩主津軽為信が

自分の禅の師匠である

長勝寺八世住職格翁禅師のために

建てた寺と伝えられる。

為信は、慶長十二年(1607)に

京都で亡くなったが、

この遺骨を二代藩主信枚が持参し、

格翁禅師を導師として葬儀を行い、

革秀寺を廟所としている。

この霊屋は、桁行一間梁間一間の

正方形の建物である。」

門は閉じているので、

霊屋正面の土塁へ。

霊屋全景。

正面から参拝。

入母屋で、軒唐破風が付き、

文化年間に追加されたという

絢爛豪華な色彩が施されています。

そして、ここで妻がまたもや雄叫びを!

「あれ、見て!龍神様じゃない?」

お〜これは立派!

戦国の勇者、津軽為信を護るに

相応しい龍神様ですね。

霊屋の下半分には、

スケルトン式の覆屋が補強的に

設られているようです・・・。

武略・知略・謀略の限りを尽くし、

南部氏からの独立を勝ち得、

今の青森県の西半分を治めた

津軽為信さん、

ずっとここで弘前市民を見守られて

くださっている事でしょう。

最後はこれで参拝完了です。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください