興福寺・国宝館(奈良市)

 

大幅な予定変更

旅の二日目は「雨」。

止む気配も無かったので、

この日は大幅に予定を変更し、

以前から気になっていた

興福寺の三重塔と国宝館、

東大寺の、東大寺ミュージアムに

行き先を変更。

雨が降ったのも何かのお導き、

きっと思わぬ楽しいことが

待っているはず(笑)

興福寺へ

まずは、2年前の訪問時、

素通りしてしまい、

見逃した三重塔へ。

この辺りは、

どこを歩いても鹿&鹿の糞(笑)

中金堂と鹿。

なかなか絵になるな~。

三重塔入口にいらっしゃる

地蔵菩薩様たちにご挨拶。

雨のお陰でようやく出会えたね!

国宝の三重塔さん(笑)

毎年7月7日のみ開帳されるそうです。

三重塔前に配置された

摩利支天石。

なんだか、子供の顔のようにも見えて、

ほっこり癒やされますね。

元は、宝蔵院流槍術(武術)が伝わる

宝蔵院(興福寺の子院)の

庭にあったそうで、

廃寺になった後放置されていたものを

篤志家の方が、

ここに移転したもののようです。

「宝蔵院流槍術」を

Wikipediaで調べると、

「福島正則の家臣で

勇猛な武将として知られる

笹の才蔵こと可児才蔵(吉長)が、

初代宝蔵院胤栄に教えを請うた、

とも云われる。」

このように書かれています。

あの、関が原の戦いでも大活躍し、

家康から大いに称賛され、

関ケ原合戦図屏風には、

笹を背負った風体が描かれている

可児才蔵と興福寺の関係を知られるとは、

やはり三重塔のご縁は凄いかも(笑)

また、摩利支天を

Wikipediaで調べると

「摩利支天は陽炎(かげろう)を

神格化したもので、

陽炎は実体がないので捉えられず、

焼けず、濡らせず、傷付かない。

隠形の身で、常に日天の前に疾行し、

自在の通力を有すとされる。

これらの特性から、

日本では武士の間に

摩利支天信仰があった。」

「毛利元就や立花道雪は

「摩利支天の旗」を旗印として用いた。

山本勘助や前田利家や

立花宗茂といった武将も

摩利支天を

信仰していたと伝えられている」

このように書かれています。

結構人気者なんですね、

摩利支天さん。

摩利支天石のある芝生にも鹿が。

上を見上げると、

南円堂が見えています。

南円堂の手水舎。

 

 

朝早いのに長蛇の列が!!

なんでこんなに並んでいるのかと思ったら、

この日、10月17日は、

年に一度の開帳の日でした。

僕たちはと言えば、

南円堂には目もくれず(笑)

その前に見える藤棚の参道に注目。

そして、藤棚の奥にいらっしゃる

不動明王様に参拝。

ここから国宝館へ。

左手には、中金堂。

東金堂と五重塔は、

ともに国宝です。

国宝館に到着。

入館。

中の写真撮影は出来ませんが、

写真付きの目録を購入したので、

後々も思い出せるでしょう・・・

数年間は(笑)

 

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Comment

  1. omachi より:

    あなたの知らない日本史をどうぞ。
    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)
    読み通すには一頑張りが必要かも。
    読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
    ネット小説も面白いです。

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