亀岡文殊(大聖寺)(山形県)1

 

十二年に一度

今年の6月、

天橋立智恩寺に参拝した際、

日本三文殊というものを知りました。

その中の一つが今回参拝した

亀岡文殊(大聖寺だいしょうじ)です。

妻にこのことを話したら、

「何か、行きたい感じがする・・

山形に行ったら参拝したい!」

そうおっしゃるので(笑)

元々、予定していた神社をやめ、

亀岡文殊参拝と相成りました。

偶然に知った亀岡文殊ですが、

僕たちが行った日は、

ラッキーなことに、

十二年に一度の秘仏御開帳の期間に

あたっていたのです!

いやはや妻の第六感というか、

引きの強さにはビックリですよ(笑)

駐車場にて

早朝6時に山形市のホテルを出発。

元木の石鳥居八幡神社の石鳥居

平安時代建立という

日本最古級の鳥居を堪能後、

高速道路を使い、1時間ほど南下。

高畠町の亀岡文殊駐車場到着は、

午前8時過ぎと

今のところは結構順調です(笑)

駐車場。

この一角に案内板が三つあります。

「まほろばの里 高畠の観光案内」

室町時代の舞楽殿、

江戸時代の三重塔が建つ、

「安久津八幡神社」、

石切場の壮観な景色が楽しめる、

「瓜割石庭公園」、

さらに「犬の宮」「猫の宮」という

犬・猫に特化した神社など、

時間が許せば、亀岡文殊以外にも

行ってみたいところ満載の高畠町は、

間違いなく、「まほろば」

(理想郷、素晴らしい場所)ですね!

ここには、

直江兼続も来ていたようです。

「亀岡百首」を書き出すと、

以下になります。

「関ケ原の戦い後、

上杉家は危機存亡の瀬戸際に立ったが、

ようやく徳川体制の中で

米沢三十万石の大名として生きる道を得る。

会津から大勢の家臣団を引き連れ、

米沢への移転がひとまず終えたばかりの

慶長七年(1602)二月に

亀岡文殊で詩歌の会が行われた。」

主催者である上杉家執政直江兼続が

風雅の友(上杉家家臣等)二十余人を伴い、

文殊堂に参詣し、

詩歌の席を設けたものである。

文人としても名高い直江兼続の漢詩はじめ、

前田慶次利貞・実弟大国実頼ら

有名な武将の詩歌があり、

歴史資料・文化資料として

高い価値を有する。」

上杉家が米沢藩に

引っ越した後ということは、

ここは、

米沢藩の一部だったようですね。

こちらは亀岡文殊界隈の散策図。

山歩きして、じっくりと

巡ってみたいとは思いますが、

やはり時間が・・・

いいえ、

本当は体力の問題です(笑)

忠魂碑・お地蔵様

文殊堂へ行く前に、

駐車場の奥に建つ忠魂碑へ。

忠魂碑前は、

「いにしえの散策路」の

スタート地点でもあります。

参拝。

石仏群にも参拝。

そして、この左横にいらっしゃるのが、

こちらのお地蔵様です。

「麦つき地蔵」

何故、このように

呼ばれているかは不明ですが、

とても大切にされていることは

間違いないようですね。

参拝。

お地蔵様を拝んでいたら、

どこからか赤とんぼがやって来ました。

仁王門

一旦、山を少し下り仁王門へ。

参拝スタート。

迫力満点、阿形の狛犬。

江戸時代の建立でしょうか?

吽形。

手水舎。

手水鉢は常時水が流れるタイプ。

仁王門前の常夜燈(燈籠)を確認。

文政十一年(1828)の建立です。

おん年、203歳、

頑張っておられます。

左側の常夜燈。

仁王門内の仁王像へ。

吽形、それとも阿形かな?

鉄製のわらじの奉納とは

ちょっと珍しいかもですね!

左側の仁王像。

こちらの方が、お口を大きく

開けていらっしゃるような・・・

こちらには大きな木製の下駄が

奉納されています。

仁王門をくぐり左側の常夜燈へ。

こちらは明和二年(1765)の寄進です。

台座の下部は土の中に

埋もれているようです。

それにしても、

先ほどのものと同様、

オリジナルのまま、

250年をよく過ごしてきたと

感心してしまいます。

1000年位も昔の鳥居が

倒壊もしないで残っている山形県ですから

地震とか、自然災害が少ないのかな?

それとも、神仏の思し召しか?(笑)

そして、

参道はさらに続きます。

(続く)

 

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