鴨神社(山陽小野田市)
お見合い鳥居
鴨神社と厚狭護國神社の一の鳥居は
向かい合って建っています。
左が鴨神社の鳥居、
右が厚狭護國神社の鳥居。
まさに
「お見合い鳥居」ですね(笑)
鴨神社を向くと、後ろから
「こっちに来て〜!」と
厚狭護國神社から言われそうだし、
そのまた逆もあるし(汗)
正直どっちから参拝するか、
人気者はつらいのですよ(笑)
しかしまずは、
鴨神社からということで決定。
護國神社にいらっしゃる
御英霊の皆様には
お待たせして申し訳ありませんが、
後からじっくりと
お参りするということで、
悪しからずご了承願った次第です(笑)
参道
護國神社に背を向け参拝開始。
鴨神社一の鳥居。
昭和七年、
神社の1125年大祭記念と
刻まれています。
途中、幹線道路を渡り二の鳥居へ。
二の鳥居。
参道右側に建つ「御大典記念」の燈籠。
こちらは江戸時代っぽい燈籠。
三の鳥居を通過。
杜の中へ。
ここで参道左側に
一基のみが建つ、
渋〜い燈籠を発見。
梵字らしきものが刻まれていますが、
読めないので意味は不明です。
側面には、
「元治元年 子九月 テシマ」
このように刻まれていて、
燈籠にカタカナが使われているのは、
かなり珍しいでしょう。
一の鳥居と同じ、
昭和七年の寄進なので、
大祭に合わせたものかな?
吽形。
「うん」というよりも
「い〜」のような(笑)
手水舎。
水は流れていなく、
アルコール消毒が
配置されていますが、
いい感じの手水鉢が見えています。
「万延元 申十一月」の文字を確認。
江戸時代末期、
1860年の寄進ですから
すでに160歳超えですね。
さらに奥へ。
御神木の杉の木と妻。
「鴨神社略記」
内容を超訳すると
以下になります。
「御祭神:鴨建角身命、
玉依姫命、鴨別雷神
その他、五柱の神様。
由緒:
推古天皇二十二年(618頃)
百濟国聖明王第三の御子、
琳聖太子(山口大内家の元祖)が
天皇に御対面の為都に上られた。
御母皇后(聖明王の后妃)もその後、
太子を慕い大和朝廷に向け船出された。
途中船が長門国白江の浦(梶浦)に漂着し、
川沿いに登り、そこに御殿を造られ、
その後、
舒明天皇三年(633)崩御された。
大同三年(807)四月、
白鴨が飛んで来て、社の中に入り、
「神号」がないとお供の人に
「おつげ」があり、大内氏に言上して、
京都に申登され、勅許の上、
下鴨は梨木家(上鴨は鳥居家)によって、
同年七月沓の里に奉幣し、鎮座された。」
御祭神の鴨建角身命は、
京都の下鴨神社の御祭神で、
神武天皇の東征時に
天皇を強力にバックアップした
言われている神様です。
また、ここで書かれた玉依姫は、
日向神話に出てくる、
神武天皇のお母さんの玉依姫ではなく、
鴨建角身命の娘で、
神武天皇の皇后のお母様の
玉依姫になります。
玉依姫についての解説では
「丹塗の矢の話」とだけ
手短に書かれていますが、
少し詳しく書くと、
「玉依姫のあそこに
丹塗の矢が突き刺さり、
程なくして妊娠し皇后を産んだ。
実は、
神様が丹塗の矢に「変身」して
突き刺したのだった」
という話です。
とにかく日本神話には、
「あそこに突き刺さる」逸話が多いので、
読んでいて飽きません(笑)
左右に赤っぽい狛犬を発見。
寄進は文化十三(1816)年三月。
吽形。
御社殿
かなり道草を食いながら(笑)
ようやく拝殿に到着。
参拝。
龍の彫刻。
見応えある狛犬や木鼻。
拝殿の狛犬だけ向かって左側が
阿形なのは何故でしょう?
鴨大明神の神額。
拝殿には入れませんが、
奥の本殿近くには、
金色に輝く狛犬が見えています。
ズームで阿形を撮影。
上品で素晴らしい作品ですね!
吽形は光の反射で、
これが限界です。
拝殿から本殿へ。
拝殿の瓦には大内菱が
あしらわれていて、
ここが「大内氏の神社」
であることがよく分かります。
本殿に参拝。
本殿左後方から。
境内社
次に本殿真後ろの石祠群へ。
参拝後、本殿向かって右側の
大きな境内社へ。
専用参道。
三武雄神社に参拝。
拝殿前のツーショットで
鴨神社の参拝は完了。
次に、二つの鳥居の間で、
後ろ髪引かれた(笑)
厚狭護國神社へと向かいます。