観泉寺(東京都)境外仏堂(2)

 

今川氏の屋敷跡

観泉寺のある場所は、

江戸時代初期から幕末まで、

今川氏の屋敷があったそうで、

お寺の土地は当時の屋敷の

何分の一かとは思いますが、

それでも稀に見るほどの

広大な寺域となっていて、

途中には境外仏堂が三ヶ所もあり

ひとつひとつを参拝していると

なかなか本堂へは辿り着けません(笑)

でもそれはそれで、

楽しいし、有難いことなんですけどね!

2つ目の境外仏堂

野生のインコに興奮しながら(笑)

さらに観泉寺を目指し歩きます。

まだまだ・・

山門正面に到着。

しかし、

山門の手前両脇には

またしても

境外仏堂が待っていたのです(笑)

山門向かって右側の入口には、

瓦葺きの小さな門までがあって、

みるからに

「あなた達、待ってたよ〜」と

手招きされている感じがします(笑)

中に入ると、

ここにも「六体」の仏様が

いらしゃいます。

参拝。

3つ目の境外仏堂

次に山門向かって左側の仏堂へ。

こちらには塀はなく、

一見、庭園っぽく見えます。

入口。

ここでも色々な仏様が、

待っていてくれました(笑)

碑文によると、

お地蔵様や石仏は、

いくつかの場所から集められ、

ここに安置されたと書かれています。

散らばっていると

いつしか忘れ去られたり、

荒廃してしまいますから、

集めて大切にお祀りする事は、

素晴らしいと思います。

まずは入口右側の仏像から

反時計回りに参拝を開始。

参拝後、

右から順に一体ずつ拝見します。

阿修羅像的な仏像碑。

足元では、

「見ざる言わざる聞かざる」の三猿が

阿修羅さんを支えています。

こちらも阿修羅さん。

やはり足元には三猿が!

宝永二年(1705)と

刻まれています。

文政七年(1824)建立の

馬頭観世音菩薩。

こちらも手が沢山です(笑)

またまた三猿登場!

建立年は風化して読めません。

これも三猿の上に仏像で、

建立は正徳六年(1716)です。

それにしても

三猿に阿修羅像(勝手に言ってます)の

取り合わせが多いですね・・「

当時の流行みたいなもの?

だったのでしょうか。

上方に3行の漢字があり

一番右は読めませんが、

真ん中と左側にはは

「地蔵菩薩像一切

悪事皆消滅」と書かれていますので、

地蔵菩薩のご利益を願ったものでしょう。

また、石柱の下方には、

「石畳寄附連名表」とあり、

その下に江戸時代的なお名前が

刻まれていています。

子育地蔵尊。

享保十七年(1732)寄進の

お地蔵様に参拝。

お地蔵様たち。

右端。

寶暦七年(1757)寄進のお地蔵様。

「日本廻国供養塔」と刻まれています。

「南無馬頭観世音」。

「明治」の文字が見えます。

次なるお地蔵様。

お〜これは凄い!

左の燈籠?みたいなものは、

一面が盃状穴はいじょうけつだらけで、

特に台座は盃状穴だけで出来ていると

言っても過言ではありません。

また、傘前部の刻印は、

渡辺家の家紋のようにも見えますので、

渡辺さんの寄進かも知れません。

そして最後の一角に参拝。

ここで真ん中の石塔に大注目!

なんとネコちゃんですよ!

「供養塔」と書かれていますので、

飼い主さんが、

ネコちゃんの供養の為に

建てられたものでしょう・・・

頭巾でお顔が隠れていたので、

少し上げて撮影させていただきました。

洋服も可愛いし、

めっちゃ大切にされて、

その飼い主さんのお気持ちに

なんとも言えず感動してしまいます。

ここまでで、

境外仏堂の参拝は完了。

ようやく本堂へと向かいます。

(続く)

 

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