橿原神社(福岡県添田町)
修験道の跡を発見!
旅には「偶然」がつきもの。
いや偶然は必然かも(笑)
この必然かもしれない偶然が
思わぬ楽しいことを
運んでくれます。
今までの僕たちの旅も
数多くの偶然と発見の連続で、
今回もその類にもれない
素敵な旅なのでした。
橿原塵神社へ
高住神社参拝後、少し山を下ると
道路沿い左手にこんな石垣が現れました。
櫓台?
一瞬そう思いましたが、
そうでもなさそうです。
ただ、年代的には、
江戸時代以前のものでしょう。
ちょうど空き地があったので、
そこに車を置いて、
付近を散策してみました。
すると、森の中に
かなりの石垣があるではないですか!
そんな石垣の手前に何か導かれるような
樹木に覆われた石段がお寺の横にあって、
僕たちはそこを登って行きました。
左はお寺の境内。
樹木のトンネルを抜けると
お〜鳥居だ〜!
古い石垣に立てかけられた
「橿原神社」の文字。
ここ英彦山には
明治維新の神仏分離令までは、
多くの宿坊があったので、
その寺院の跡地が神社になっているのは、
すぐに分かりました。
修験者(山伏)達が行き来したであろう
同じ石段を僕たちも踏みしめます。
御社殿は比較的新しいようです。
以前は大きな寺院建築が
あったようです。
社殿の建立は、近代かと思います。
御社殿の裏には、古い祠(社)が。
そして、この周囲の森には、
いくつもの石塔があります。
右の石塔には
「妙法蓮華経讀誦壹千部塔」
と刻んであります。
お経を千回読んだ記念というか、
成就した証なのでしょうか?
「享保」という文字もあるので、
八代将軍、徳川吉宗の享保の改革と
同じ時期に建立されたものかも
知れません。
境内には他にも無数の石塔がありました。
こんな修験者達の息吹を感じられる場所に
足を運べて、何だか運がいい僕たちです。
どなたかが、森や石塔群に向かって
御神酒をささげていました。
しかも石が台代わりになっていて、
まるで、古代のアニムズム文化
(自然界の物に魂(霊)が宿る考え)
のような何とも心鎮まる光景です。
そして、境内にはこんな池もあります。
澄んだ水を湛える
この場所にふさわしい池です。
池の向こう、島になった所には
小さな祠(社)も見えます。
名前があるのか無いのか?
そう思っていたら
足元に書いてありました。
「三ヶ月池」
こんな状態の案内でも
あるのとないのとでは
雲泥の差、助かりますね!
池の中島みたいな場所にある
祠(社)にもご挨拶。
神様はどなたが祀られているかは
不明です。
そして、注目したのが、
一番右側のお地蔵さんぽい祠。
首が切り落とされた仏様。
明治初期、神仏分離令で
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時代、
多くの石仏の首が切られました。
その名残なのでしょう…
今は、平和に神仏仲良く(多分)
やってますから
安心して座っていてくださいね!
今日のお気に入り風景
三ヶ月池のほとりから
撮影した社殿と社叢。
修験道の栄枯盛衰を感じられ、
なんか
「夏草や兵どもが夢の跡」
という松尾芭蕉が平泉(ひらいずみ)で
詠んだ句を思い出します…ね。