健軍神社・義烈空挺隊顕彰碑/熊本市

 

宮司さんの行動に共感

日本は侵略戦争ばかりで悪い国、

アメリカは人道主義で良い国、

僕らはそう教えられてきました。

戦争に負けるとは、

こう言うことなのです。

歴史上、多くの植民地は、

言葉も宗教も文化も取り上げられ、

侵略されるまでとは、

全く別の民族になっています。

占領された日本も同じ運命だって

あったはずです・・・

ただ幸運な事に、

日本人は言葉も神社も

失いませんでした。

言葉と精神的な拠り所が残ったからこそ、

現代の日本に続いているのでしょう。

ここ健軍神社の宮司さんは、

健全で公平な歴史観を伝えるべく

日々活動されているようで、

その思いがダイレクトに伝わってくるのが、

「慰霊・顕彰の斎庭ゆにわ」の紹介文と

「義烈航空隊顕彰碑 建立由来」です。

■慰霊・顕彰の斎庭

「大東亜戦争は

過去の歴史となりつつあるが、

その激動の余波は

今も我々の生活に続いている。

日本国民は、民族の存続と、

国家の誇りを賭け一丸となって

戦ったことを忘れてはならない。

日本は二度と戦争をしてはならない。

しかし大東亜戦争で

日本人将兵が極寒の北の大地や

灼熱の南方地域に出征し、

国の為、家族の為に

勇戦死闘した英霊がいたことを

我々は忘れてはならない。

「英霊を二度死なせてはならない」

(一度目は肉体の死、二度目は、

日本人の記憶からの死)

日本を守った英霊たちに

思いを寄せる斎庭に是非ご参拝ください。」

この一区画を

「斎庭」と命名されたことに

感動を覚えます。

天孫降臨の折、

天照大神がニニギに授けた、

「斎庭の稲穂の神勅」に出てくる

高天原にある神聖なる庭「斎庭」、

その名前を冠した健軍神社の斎庭、

間違いなく特別な場所でした・・

■義烈空挺隊顕彰碑 建立由来

「戦後八十年が経過し、

大東亜戦争で雄々しく戦った

将兵の伝承が難しい時代となっている。

戦後教育により、

日本が侵略国家だったと

汚名まで着せられている。

国の為、命を賭して戦った英霊に

感謝の誠を捧げ、

また正しい戦争の歴史を

後世に伝えることは

現代を生きる我々の責務である。

大東亜戦争終盤、

特攻隊として義烈空挺隊が、

熊本建軍飛行場から

沖縄に向け出撃したことを

熊本県民だけでなく、

日本国民の記憶に残すために

日本全国の賛同者の協力を得て、

出撃から八十年目に顕彰碑を建立した。

(令和七年五月二十四日 建立)」

やはりここの肝は、

「戦後教育により、

日本が侵略国家だったと

汚名まで着せられている。」

これですね・・・

だからこそ、

しっかりと正しい歴史を学び、

二度と戦争をしない平和国家で

あり続ける必要があるのです。

慰霊・顕彰の斎庭

本殿参拝後、

慰霊・顕彰の斎庭へ。

斎庭のエントランスには、

教育勅語の石碑があります。

今までに口語文訳を

何度も読んできましたが、

素晴らしい内容だと思います。

もちろん戦争讃美などでは

全くありません。

まずは参道の突き当たり、

戦没者慰霊碑の参拝へ。

慰霊碑にしめ縄とは、

ご英霊に対する最高の敬意ですね!

■戦没者慰霊之碑 建立由来

「大東亜戦争より約三十年、

日本国民は心を一つにし、

身を粉にして邁進し、

驚異的な勢いで復興を遂げようとしていた。

このように平和で

侵略されることへの不安もなく

毎日を豊かに過ごすことが出来るのは、

満州事変、支那事変、大東亜戦争において、

尊くも祖国の為に

命を捧げられた英霊のお陰である。

この碑はこの建軍地域から出征し、

尊い命を捧げられた英霊

(陸軍兵士 百五十二柱

海軍兵士 四十二柱 計百九十四柱)を

お慰めし永遠にその功績を讃える為

地域有志のご芳志を以て建立した。

(昭和四十七年二月建立)」

案内文で目に止まるのが、

「侵略されることへの不安もなく」

ここですね。

現在の世情を見ると、

この「不安」は、

昭和四十七年当時と比べ、

格段に増していると思います・・

義烈空挺隊顕彰碑

昨年(令和7年)5月、

新たに建立されたのが、

義烈空挺隊顕彰碑で、

妻は心底ここに

お参りしたがっていましたので、

まずは来られて一安心です(笑)

「義烈空挺隊出撃之地 建軍」

義烈空挺隊とは、

熊本から沖縄の米軍飛行場に

空から殴り込みをかけ強行着陸し、

隊員は飛行機から飛び出して、

身に付けた爆弾などを使い、

命果てるまで飛行場を破壊しまくるという

想像を絶する作戦を行った特攻隊の事で、

少なくとも一機は強行着陸に成功し、

全員が亡くなるまで戦われています。

標柱は宮司さんの謹書です。

表の「正装した文字」とは対照的に、

こちらはめっちゃ優しい書ですね!

こんな使い分けができる事に、

感動すら覚えます。

側面には義烈空挺隊の

出撃日時が記されています。

「昭和二十年五月二十四日

午後六時四十分 出撃」

僕たちが訪問したのが、

五月二十三日なので、

ちょっぴり導きを感じるような・・

「訓辞」

「出撃にあたり隊長として

最後の訓辞を与える

待望の出撃の日は遂に到来をした

平生 訓練の成果を発揮をして

敵アメリカの心胆を震駭し

全軍決勝の先駆けとなるは

まさに今日である

昭和二十年五月二十四日

義烈空挺隊 隊長 奥山道郎」

この奥山隊長の訓辞の生の声、

QRコードにかざせば、

スマホで聴けるのです。

宮司さんの思いが、

ここにも詰まっていますね・・・

奥山道郎さんはじめ

皆様の安らかなる事、

心からお祈りします。

立体的な「星」。

「五芒星」といい、

陸軍の戦車や車両にはこれと同じ

立体的な星が付いていたようです。

「菅原道大陸軍中将の

閲兵を受ける義烈空挺隊」

やはり写真があると、

心にいっそう響いてきます・・

裏面には「鎮魂」と題して、

潜没された隊員全員の

お名前が刻まれています。

冒頭で書き出したものと同じ建立由来。

妻が是非参拝したいと言っていた

義烈空挺隊顕彰碑、

想像以上に素晴らしいものでした。

参拝後参道で竹を見つけた妻が一言、

「皮が剥がれそう!」

なんでそんなに面白いのか?

わからないものの

竹と共にツーショットを撮影(笑)

帰路

熊本駅前でレンタカーを返却後、

18時19分発福岡行きに乗るべく、

すぐ近くの高速バス乗り場へ。

新幹線が通って、

近代的に生まれ変わった熊本駅周辺。

昔の熊本駅を知るものとしては、

何度見ても感慨深いものがあります。

歩道橋から見た

バス乗り場の屋根。

まるでサーキットの

ヘアピンカーブみたい!

日帰りの出水・熊本の旅、

後はバスで爆睡するだけです(笑)

 

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