「紫電改」公開/出水市(後編)

 

貴重なお話

令和8年4月8日に

海中から引き揚げられた紫電改、

一年間ほど真水につけて、

81年間溜まった塩を抜くため、

現在、臨時に設けられた

「塩抜きプール」に機体を休めています。

その「塩抜きプール」での展示では、

引き揚げの主体者となられた方から

貴重なお話を聞く事が出来ました。

その中からちょっと羅列してみます。

「紫電改の展示場となっている

福本商事の社長のご両親は、

出水海軍航空基地で働いていた。」

やはりご両親の職場だったということで、

出水基地に関係深い、

林大尉の紫電改引き揚げには、

相当な思いがあられたのでしょう・・・

「墜落直後、

機内から運び出された

林大尉のご遺体は、

地元の警察官が自宅に持ち帰り

子供部屋に安置したところ

ハエがたくさん飛んで来たので、

子供に払わせていた。

その子供は最近まで存命だったが、

最近お亡くなりになった。」

警察官の使命感というのか、

散華された方への敬意というのか、

深く感銘を受けます・・・

「紫電改は財務省の所有物。

だから財務省から

買い戻さなければならないんです。」

なんだか理不尽な気もしますが、

81年経過しても

時効というものは

ないのでしょうね(笑)

主翼

防弾燃料タンク、

誉エンジンと操縦桿、

この二つのプールを見学後、

主翼を入れた三つ目のプールへ。

大空を駆け巡っていた紫電改、

今は静かにプールで翼を休め、

その勇姿を留めています・・・

そして、

プールの手前にあるプレートが、

凄いものでした!

案内の男性曰く、

「この紫電改の機体番号です」

へ〜そんな凄いものが、

ちゃんと見える状態で

綺麗に残っていたのか!

ビックリですね。

「紫電二一型川西5136右」の

文字が見えますので、

右翼のどこかにあったのでしょう。

ちなみに紫電改の後期型からは、

日本海軍の単発機としては異例の

「救命筏」が装備されていたそうで、

林大尉の機体にもあったかも知れません。

特攻作戦で人命軽視が頂点に達した頃、

人命重視の救命筏が何故装備されたのか?

これは大きな謎です・・・

左右の主翼。

右の部分のみ金属でなく、

布張りだったそうで、

骨組みだけになっています。

何故布張りだったのかは、

教えて貰ったはずですが、

完全に忘れています(汗)

20ミリ機関砲

次に紫電改の象徴、

20ミリ機関砲を注目してみます。

弾倉から銃弾は抜かれ、

片翼2門の機関砲は、

一門のみとなっていますが、

海底に沈んでいた時や

引き揚げ時には2門ありましたので、

自衛隊が弾を抜いた際、

外されたのかも知れません。

機関砲アップ。

真横からも撮影。

動画でも撮影。

そしてこの後、

案内役の男性が

箱から出したのがこちらです。

20ミリ機関砲の砲弾です!

もちろん本物ではなく、

紫電改に残っていた砲弾を型取りし、

忠実に再現して作ったものだそうで、

もはや「本物」と言っても

誰も疑わないほど精巧に作られています。

こんなものまで

間近でみられるなんて、

思ってもみなかった事、

関係者の「紫電改愛」

めっちゃ伝わって来ましたよ!

引込み脚

次は引込み脚です。

「これ見てください、

81年間も海中にあったのに

ピッカピカなんですよ!」

そう説明を受け、

よく見ると・・

お〜確かにピッカピカですね!

案内の男性がこの金属の

「難しい名前」を言ってましたが、

全く覚えていません(汗)

恐らくこれは

ショックアブソーバー

(衝撃緩和装置)でしょう。

81年前の日本の技術も

相当なものだった事を知り、

ちょっと嬉しくなった瞬間です(笑)

プロペラ

プロペラも衝撃的でした・・

案内の方が指さしたのが、

塩が沢山出ている穴です。

「これはB29から射撃を受けた

弾丸の穴です。」

・・・

一機につき10門ほどの

機銃が装備されたB29、

この日の記録にある19機に

単機で向かっていけば、

190ある銃口の多くから

一斉射撃を受けて、

もはや蜂の巣状態です・・・

これが致命傷となり、

林大尉は不時着、

そして散華されたのでしょうか。

改めて、

林大尉の比類なき勇気と至誠に、

心を打たれます・・・

81年前の引き揚げ道具

「実は当時も引き揚げを

試みているんです」

そう言いながら、

案内の男性が指さしたのが、

こちらです。

錆びついた金網ロープ。

81年前、

地元の人たち500人くらいで、

これを紫電改に掛けて引っ張り、

海から引き揚げようとしたそうです。

貝殻なども付着して、

当時の人々の思いが、

凝縮されています・・・

さらにアップ。

引き揚げは出来なかったけど、

当時の人々のお気持ちは、

大いに伝わって来ました・・・

この貴重な遺産も

紫電改と共に

末永く残していって欲しいものです。

菊の花と雲の墓標

帰路、再びテント前を通ると、

来た時にはなかった菊の花が

飾ってありました・・・

どなたかが供えられたのでしょう。

改めて林大尉のお写真に合掌です・・・

出水海軍航空基地特攻碑公園の

「雲こそわが墓標」の詩が、

ここでも掲げられていました・・

紫電改の翼の上に湧くあの雲こそ、

林大尉の墓標でしょう・・・

後日談2つ

一つ目は、

訪問から3週間ほど経った、

令和8年6月14日(日)、

テレビ番組「遠くへ行きたい」で、

紫電改の公開が紹介された事です。

この番組内では、

現地で貴重なお話をしてくれた男性も

出演されていて、

「このプロジェクトは、

同窓生3人の思いから

スタートしました」

このように語られていました。

そしてもう一つは、

僕が新聞記事に載った事です(笑)

紫電改の塩抜きを見学している時、

妻が新聞記者の方に声をかけられ、

話を聞かれたのですが、

妻は取り止めもないお喋りは得意だが、

話をまとめるのは得意でないタイプ、

ということで、

妻が僕を新聞記者に紹介し、

僕がインタビューに答え、

結果、

新聞に掲載される事になりました。

こちらは南日本新聞社から送られて来た、

僕たちの記事が掲載された新聞です。

ただ、著作権があるので、

新聞そのもののは掲載出来ませんので、

記事になった部分のみを抜粋して

書き出します。

■南日本新聞

令和8年5月29日(金)版より

「搭乗していた林喜重大尉の

慰霊碑を訪れたこともある

福岡県古賀市の山本俊朗さん(66)は、

機体引き揚げと公開を知って夫婦で見学。

「操縦かんなど当時のまま残っているものを

目の前で見ることができ、感無量。

正式に展示されればまた見に来たいので

頑張ってほしい」と話した。」

新聞記事になるとは、

楽しくて仕方ありません(笑)

やはり行動するって大事ですね!

ただ妻は、

「私の名前が載ってない!」

な〜んて、

ちょっぴり残念そうでしたけど(笑)

新聞に掲載されるという

オマケまで付いて、

紫電改の塩抜き見学は、

忘れられない思い出となっています。

 

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