2017/12/31
群浦(こうのうら)神社(熊本県宇城市)
巨木探しは理解力が必要
巨木巡りというのは、
時によって目的地を探すのに
かなり迷う場合や、
あるいは結局探せずに
訪問をあきらめてしまうことがあります。
それは、レジャー施設や駅など
「必ず地図に掲載されているもの」
とは違い、
ある程度有名な巨木以外は
地図に載っていないことと、
ネットで調べても正確な位置を
理解出来ない僕の頭脳があるからです(笑)
まあ、後者の理由が圧倒的に多いのですが…
今回の熊本の巨木巡りの旅でも
1カ所は探しきれずにあきらめています…
そして、「あきらめ巨木2本目」に
なりそうだったのが、群浦神社の大楠です。
群浦神社(じんじゃ)の大楠と
書きましたが、実はこの大楠、
群浦天神(てんじん)の
大楠だったのです(汗)
あ〜勘違い!
その間違った場所の群浦神社で
巨木との出会いを果たせなかった話しが
今回のブログですが、
ここではまた別の御神木に出会えたので、
何か導かれたのでしょう(笑)
群浦神社へ
宇土市から山越えで、この神社に到着。
少し暗くなって来ましたので、
早く巨木を見つけないとという
焦る気持ちで参拝。
なんだか神様に失礼かとは思いましたが、
僕の頭は「大楠」でいっぱい(笑)
そう言えばここのクスは「樟」という漢字で
書かれていたな〜なんて思い出しましたが、
まあ、同じなのでここでは楠で書いてます。
扁額には「三宮」との表記がありました。
肥後三宮(さんのみや)です。
Wikipediaで調べてみると
ここは阿蘇神社の系統で、
阿蘇神社、甲佐(こうさ)神社、
健軍(けんぐん)神社とともに
阿蘇四社と称せられるそうです。
こんな神社に巡り会えるなんて、
巨木探しに迷って本当に良かった!
いや、
完全に強がりです(笑)
夏とはいえ陽が傾きかけてきたので、
かなり急ぎ足で拝殿へ進みます。
拝殿にて参拝。
さほど大きくはないのですが、
とても綺麗な拝殿(左側)と
本殿(右側)です。
そして、ここで御神木との出会いが。
イチョウの木
案内によると
「このイチョウの木の乳汁を煎じて飲めば、
産後乳の出がよいと言うことで
訪ねる妊婦さんが多い」
そうです。
イチョウの古木は乳のような形に
幹が垂れてくるので、
やはりこの木はかなり
古いイチョウなのでしょうね。
そして、神風連(しんぷうれん)の碑
についての説明板がありました。
神風連の変で自刃した6名の鎮魂碑です。
実際の「碑」は写真の
右端に写っていますが、
巨木で頭がいっぱいになって
碑どころではなかったようです(笑)
ここで、神風連の変について
少しウンチクを。
下の写真は神風連の変の時に今で言う
「総決起大会」が行なわれた
熊本市の新開大神宮です。
これは僕たち夫婦が5年ほど前の正月、
初詣に行った時の写真で、
季節が全く逆になってます(笑)
この神社の宮司の先祖である方も
神風連の中枢にいた方です。
西南戦争の導火線ともなった
この神風連の変は廃刀令を代表とする
今までの日本人らしさ、
価値観を捨てさせる明治政府の方針に対する
決起によるもので、最終的に鎮圧され、
ここの碑に書かれている6名も
戦いに敗れ、亡くなった方の一部です。
世の中が大変革する時、
企業が改革されるとき、
必ず軋轢(あつれき)がおこり
そんな中で殺し合ったり、
会社と喧嘩したりと
人間界とはそんなものですね。
達観したような言い方ですが、
敵対する双方が考えてるのは
「これが良い方向だ」ということ。
ただ勝った方が「官軍」であり
正当な歴史として刻まれるだけです。
神風連の方々が、
大正期に名誉回復されていますので、
政府も神風連には
尊厳の気持ちがあったと思います。
なんだか真面目に書きましたが、
最後にもっと真面目な写真をご覧下さい。
真面目なツーショット(笑)
今日の癒し
上に行くに従ってくっついていく木
根元は離れているのに、
上の幹はだんだん寄り添っていますね!
なんだか、恋人が○○をする姿を
想像して癒されました(笑)