2021/01/12
吉備津神社(岡山市)前編
三備一宮
現在の兵庫県西部から
岡山県、そして、広島県東部にわたる
広大な国だった吉備国は、
飛鳥時代に分割されています。
その吉備国の分国について、
Wikipediaによると
「分国は、持統天皇3年(689年)の
飛鳥浄御原令の発布をもって
備前国、備中国、備後国に分割、
それから遅れること二十数年後の
和銅6年(713年)に
備前国から美作国を分立させた。」
と書かれています。
このような経緯から、
吉備国一宮だった、吉備津神社は
備中国一宮となり、
備前国一宮は吉備津彦神社、
備後国一宮は現在の福山市に鎮座する
吉備津神社となっています。
そんな経緯からでしょうか、
吉備津神社のパンフレットには、
「三備一宮」の文字が入っています。
もちろん、三備とは、
分国前の吉備国を表す言葉でしょう。
ちょっと誇らしげなこの言葉、
なかなか良いものですね。
吉備津神社へ
備前国一宮、吉備津彦神社から
車で約5分という近距離に、
吉備津神社は鎮座しています。
巨大な案内図。
お目当ての本殿や廻廊を確認し、
否が応でもテンションは上がります。
吉備津神社境内古図。
今の境内図とくらべ、
そんなに変わっていないのが凄いです。
参道。
手水舎。
手水鉢には、
元文二丁巳歳(1737年)と
刻まれています。
手水舎横の矢置岩。
矢置岩の由来。
官幣中社吉備津神社の社号標には、
「犬養毅書」と書かれています。
神社となにか関係でもあるのかと
Wikipediaで調べたら
犬養さん、岡山の生まれで、
しかも
「遠祖・犬飼健命は
吉備津彦命の随神であったとして
吉備津神社への崇敬の念が強く、
神池の畔に犬養毅の銅像が建ち、
吉備津神社の社号標も
犬養毅の揮毫である。」
なるほど~!
桃太郎にきびだんごを貰い、
一緒に鬼退治に行った
「犬」に当たる方が
先祖様だったようです!
石段を上がれば北随神門です。
北随神門
北随神門は、
室町時代中期の再建で、
国指定重要文化財です。
正面。
斜めから。
ここから石段を登ると、拝殿となります。
拝殿
思いのほか参道があっさり終わるので、
「え?もう拝殿か~!
心の準備が出来てないよ~!」
こんな気持でした(笑)
石段を登ると建物の一部が、
門のようになっていて、
ここをくぐると目の前に拝殿があります。
拝殿内へ。
これが国宝の拝殿か~!
室町時代の空気が、
今にも漂ってくる気がします(笑)
柱には五七の桐紋。
本殿
いよいよ、本殿の全貌が明らかに(笑)
お~!
写真で見るよりも圧倒的な存在感です。
神社のパンフレットによれば、
「明徳元年(1390年)
後光厳天皇の勅命により、
室町幕府三代将軍の
足利義満が再興に着手し、
応永三十二年(1425年)
十二月二十九日に
現在の社殿が落成しました。」
「比翼入母屋造」と云い、
全国でも当社だけの様式ですので、
「吉備津造」とも称されています。」
このような説明になっています。
真横からもカッコいい!
本殿斜め後ろから。
本殿を少し俯瞰気味に撮影。
さらに動画でも撮影(笑)
やはり本殿バックにツーショット。
本殿前の燈籠。
本殿をバックに御朱印を撮影。
達筆な文字にしばしうっとりです。
今日のデジタル
古い歴史を持つ吉備津神社ですが、
中身は最先端技術満載です(笑)
その一つが、
吉備津神社バーチャル体験。
とにかく参拝者を楽しませてくれる
素晴らしい神様なのです!
(後編へ続く)