吉備津彦神社(岡山市)後編

 

「桃太郎」

吉備津彦神社で、授与していただいた

パンフレットによれば、

「昔話「桃太郎」は、吉備国平定の際の

吉備津彦命(桃太郎)と

温羅(鬼)の戦いが

もとになっているといわれています。」

このように書かれています。

大和政権が地方豪族を

武力で支配する中での出来事は、

このような童話や神話として

伝承されていることは多々ありますが、

豪族平定軍の大将を、

桃から生まれた桃太郎に例えた人は、

素晴らしい発想力ですね(笑)

本殿へ

手水を終え、御社殿へと向かいます。

社頭の備前焼狛犬と、

随神門そばの大灯籠に

お出向していただいたので、

この時、既に気分は鋭意高揚中(笑)

拝殿右手前の巨木が気になるので、

まずは、そこから訪問です。

「平安杉」。

神社のサイトやパンフレットによれば、

「樹齢千年以上とされる御神木で、

昭和5年の社殿火災により

半身は焼け、空洞化と老朽化が進み、

倒木の恐れがあったので、平成16年、

大手術が行われた」

と書かれています。

確かに、老朽化は否めないものの

新たな葉も茂っている部分もあり、

大手術は成功しているようです。

拝殿へ。

ここで、左右の備前焼狛犬に注目。

阿形。

なんとも言えず、

ユーモラスな表情で、

こちらまで笑顔になれます。

吽形も素敵なお顔。

そして、参拝後、本殿へ。

右が拝殿、左が祭文殿。

渡殿。

本殿。

本殿を真横から撮影。

本殿の案内。

元禄十年(1697年)の再建で、

拝殿や祭文殿、渡殿が消失した

昭和5年の火災でも、

この本殿は焼けず、

ここに勇姿を留めています。

本殿~渡殿~祭文殿~拝殿と

御社殿全体の動画も撮影。

渡殿(左)と祭文殿(右)には、

地下道があるので、

くぐってみることに。

ここ(左側の壁)から本殿に向かい

参拝することも出来るようです。

拝殿前でツーショット完了。

御朱印も授与していただき、

この後は境内社へ。

子安神社

本殿右側の境内地には、

子安神社をはじめいくつもの

境内社が鎮座しています。

中門をくぐって子安神社へ。

案内。

子安神社の参道。

檜皮葺の拝殿。

案内には、

「吉備津彦神社社記」などによれば、

晩年の池田光政は健康がすぐれず、

その健康祈願のため、娘の六姫が発願し、

光政の生母福照院の手によって、

寛文十二年(1672年)7月

備中一宮の境内に建立された」

このように書かれていて、

かなり御由緒ある子安神社ですね。

拝殿前の本殿に参拝。

流造の本殿も檜皮葺。

子安神社右横の境内社群。

子安神社の下段に鎮座する天満宮。

稲荷神社

本殿右側の境内社参拝の後は、

左側に鎮座する境内社へと向かいます。

途中で見つけた古代御社図。

神仏習合の時代の

五重塔らしきものも見られます。

稲荷神社参道。

ここからは石段。

さらに急な石段(汗)

稲荷神社に参拝。

稲荷神社下に鎮座する

卜方(うらかた)神社。

岡山藩主の祖である

池田信輝公と池田輝政公の

神霊がお祀りされています。

(神社のサイトによる)

※池田信輝とは池田恒興のことです。

温羅(うら)神社

冒頭で書いた桃太郎の

鬼退治の「鬼」役である

温羅を祀る神社です。

「吉備国に様々な文化をもたらし

後に、吉備津彦命の従者となって

多くの功績を残した温羅命の

和やかな御魂をお祀りしています」

(パンフレットによる)

鬼もまた大切な協力者だっっという訳で、

神様になっています。

忠魂碑

温羅神社の後ろ側、

稲荷神社の麓には忠魂碑があります。

英霊の方々に参拝して、

吉備津彦神社の参拝は完了です。

今日のお店

随神門の手前にある茶店。

「たかきび団子」

気になりましたが、

僕たちはいつものように大急ぎの旅、

よって、スルー(汗)

きっと普通の参拝者ならば、

癒やされるはずです(笑)

 

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