小倉碑文(北九州市)

 

宮本武蔵を知る基本資料

Wikipediaにとると、

「小倉碑文(こくらひぶん)は、

宮本武蔵の養子・宮本伊織が

武蔵の菩提を弔うために、

承応3年(1654年)に

豊前国小倉藩手向山山頂に建立した、

自然石に刻まれた顕彰碑文。

武蔵が晩年に書いた、

「五輪書」とともに宮本武蔵を知る、

基本資料の一つである。」

このように書かれていて、

武蔵関連の多くの著書は、

この碑文の内容を元としているようです。

手向山公園へ

小倉城の天守3階には、

「武蔵・小次郎伝」という

二人の巌流島の戦いを中心に、

宮本武蔵の功績が、

詳しく紹介されていて、

次なる目的地、「小倉碑文」についての

素晴らしい映像までが見られ、

僕は、小倉碑文を訪問する前から、

既に体験した気分になっていました。

小倉城を後にして・・・。

西小倉駅前からバスで手向山公園へ。

バスを降りると、

いきなり武蔵が登場。

テンション上がりますね!

手向山公園の案内。

ここから山登り。

入口付近には武蔵の養子、

宮本伊織と宮本家代々のお墓があります。

小倉藩、小笠原家の筆頭家老として

明治維新まで続いた宮本家だからこそ

このような場所にお墓があるのでしょう。

立ち入りは出来ないので、

外から参拝と撮影。

案内図。

目的地まで約6分。

途中で見つけた、

大瀬戸第一号導灯(後灯)。

海上保安庁のサイトによると、

「導灯とは、通航困難な水道、

狭い湾口等の航路を示すために

航路の延長線上の陸地に設置した

高低差のある2個の構造物で

灯光を発するものをいいます。」

このように書かれています。

関門海峡を安全に航行出来るのは、

この導灯のお陰というわけですね。

小倉碑文(宮本武蔵顕彰碑)

歩くこと10分位で、

目的の小倉碑文に到着。

これが、400年近く前に

建てられたものか・・・。

高さは4.5mもあり、

これだけ大きな一枚岩を見つけ、

そして削るのも大変そうで、

何だか、凄みを感じますね。

案内。

少し加筆して書くと、

「碑は、宮本伊織が、

藩主、小笠原忠真から拝領した手向山に、

養父・武蔵をしのんで、

承応三年(1654年)

四月十九日に建てたもので、

古くから北九州第一の

名碑とうたわれている。」

このようになります。

碑文の大意。

13歳で初めて勝負した時から、

吉岡一門との対決、

佐々木小次郎との巌流島での決闘、

そして、

肥後で没するまでが書かれています。

改めて参拝。

碑文を一部拡大。

「兵法天下無雙」

これだけで、武蔵が、

唯一無二の存在だったのかが、

よ~くわかりますね。

Wikipediaには、

「頂部に武蔵の遺言として

「天仰實相圓満兵法逝去不絶」

十二文字の大文字」

と書かれていますが、

まさにこれが、その実物。

展望台

次に展望台へ。

小倉碑文から少し奥に行くと、

見えてくるのが佐々木小次郎の碑。

武蔵を語る時、

必ず出てくるのは佐々木小次郎。

案内には、昭和26年に

建てられたと書かれています。

展望台。

巌流島、関門橋などが見渡せる

展望台からの景色。

案内。

この展望台から、少し下ると、

もう一つのシンプルな

展望施設があります。

何となく、ここからの方が

視界が開けていそうだなと思いつつ、

上ってみると・・・

お~!!

ここからの景色は最高ですよ!

良かった~

この場所を見逃さなくって(笑)

動画でも撮影。

そして、ツーショットも(笑)

武蔵さんのお陰で、

こんないい場所に来られて良かった~。

 

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