基肄城(きいじょう)(佐賀県基山町)前編

 

朝鮮式山城

663年、日本(当時の倭国)が、

唐と新羅の連合軍に朝鮮半島南部の

白村江の戦いで大敗したことは、

国家存亡の危機でした。

そのため、天智天皇は戦いの直後

九州から近畿まで、

約27箇所にものぼる古代山城、

いわゆる朝鮮式山城を作っています。

何故、朝鮮式山城なのかと言えば、

城の設計、施工の指導者は滅亡した

友好国、百済の人々だったからです。

大敗したと言えば、

命からがら逃げ帰ったように感じますが、

滅亡した百済の高官をはじめ多くの人を

日本に連れて来ています。

その人々が日本にもたらした技術は、

大野城や、御所ケ谷神籠石など

現代の僕たちが見ても驚くほど

素晴らしいものです。

その一つである基肄城は、

大野城、水城とともに、

大宰府防衛の

重要な拠点の一つでした。

基肄城

昨日書いた、木山城は、

広大な基肄城の

頂上の一部分でした。

木山城は国内の

陣取り合戦で使ったお城であり、

国家間の戦いのための

「国としての城」である基肄城とは、

構想も規模も全く違って当然な気がします。

国家的な防衛施設を作った

天智天皇の手腕が凄いのか、

それとも側近に切れ者がいたのか、

今から1300年以上も前、

これだけの国家的プロジェクトを

やり遂げたのは、

やはり偉業としか言いようがありません。

駐車場をの看板を見て、

僕は50年ほど

ずっと間違って覚えていた事を発見!

「きやま草スキー場」と思っていたのが、

実は、「きざん草スキー場」だったとは!

衝撃でした~(笑)

アプリもあって、親切な案内があります。

「特別史跡基肄城跡」の説明。

この史跡巡りの案内図をたよりに

基肄城を散策したのですが、

実際に行ってみると、

ここに載っていない礎石もあって、

この案内が出来た後に見つかったものも

あるのかも知れません。

まずは山頂を目指します。

景色は抜群。

ここからなら見張りもバッチリですね!

「特別史跡基肄(椽)城跡」の石碑。

(椽)が付くのが正式名称です。

昭和40年に建てられた石の案内文。

日本書紀、続日本紀、万葉集にも

名前が出てくると書かれていて、

改めてここが凄い場所なのかを

知ることが出来ます。

「国指定史跡」と

「国指定特別史跡」の違いは、

建築物で言えば、

重要文化財と国宝もの違いです。

そんな国宝級の基肄城史跡ですが、

この50年以上経過しても

劣化も少ないこの石造りの史跡案内以外、

多くの道案内については、

あまり国宝級の史跡を感じられないのです。

手作り感満載、劣化しすぎの案内板は、

国指定特別史跡の名にかけて

整備して、お城好きや歴史ファン、

登山客にもより気軽に安心して

基肄城を楽しんで欲しいものだと

感じました。

とここまでは訪問した

昨年11月の気持ち・・・

実は・・・

今年の7月の豪雨災害で

基肄城は大きな被害を受け、

現在、散策は不可能になっています。

国が関わる史跡なので、

復興までに3年はかかるという記事も

目にしています・・・

道案内はどうでもいいから

ただただ復興、復活を願います・・・

地元の有志が建てた案内。

温かみはあるので、いいのですが、

ここに散策図があればどれだけ

心強いでしょうか・・・

「大礎石」の案内。

素晴らしい礎石です。

1300年位上も前

ここにはどんな建物が

あったのでしょうか・・・

北帝門跡へ。

獣道っぽい道を進みます。

石の案内は、頂上の石碑と

同時期に建てられたものかも知れません。

北帝門跡。

ここには、石垣の遺構が、

驚くほど残っていました。

崩れていますが、明らかに

人為的に置かれた石。

崩れた石垣。

かなり元の姿をとどめた、

飛鳥時代の人々が

積み重ねたであろう石垣は

素晴らしいものです。

石垣を堪能。

ここからまた、

ジャングル(笑)を進みます。

北東門跡。

これは散策路の一部で、

急斜面もあり

根っこだらけでもあります(笑)

何だか探検隊の気分にもなれて

飽きさせません。

そんな探検途中で見つけたものがこちら。

「堺」と書かれた古い石柱。

境界線を表すものだったのでしょうか、

説明がないか見渡たすと

ありました!

堺とは関係ない土塁跡の文字。

へ~ここは土塁になっていたんだ~

と思いきや

その案内の下にも「堺」が。

こちらは古い「堺」の石柱に

寄り添うように、それよりも

新しい年代に打たれた石杭が

あります。

う~ん何の堺(境界)なんでしょう・・・

今持って謎です。

「つつみ」

堤なので池があった跡でしょうか。

お城には水が必須ですから

ここは貴重な場所だったはずです。

そして、僕たちはこの横で、

水と同じくらい?

貴重な木を発見しました。

幹が真横に伸びています。

木に横たわっているのは、

この山の猿で・・・はなく妻です(笑)

鐘撞堂跡。

お城で鐘を撞いていたのでしょうか。

米倉礎石群。

この礎石群の上には、

米倉が建っていたのは理解出来ますが、

いったいどんな形だったのでしょうか。

とにかく想像力を育むには

もって来いの基肄城散策ですね。

ここまで山を登り下りして早2時間、

しかし、一番の見どころはこれから(汗)

もう一息、いやまだ相当だ~(笑)

後編へつづく・・・

 

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