喜光寺・本堂(奈良市)

 

「光明」

「行基菩薩の寺 喜光寺 縁起」と

題されたお寺のパンフレットには、

喜光寺きこうじは、奈良のほぼ中央に当たる

平城京右京三条三坊に位置し、

養老五年(721)、

行基菩薩ぎょうきぼさつによって創建されました。

古くは「菅原寺すがはら」と呼ばれていましたが、

天平二十年(748)に

聖武天皇が当寺にご参詣された際、

ご本尊より不思議な光明が放たれ、

そのことを喜ばれた天皇により

「喜光寺」という寺号を賜りました。」

このように書かれています。

僕が気になったのが

「不思議な光明」というフレーズです。

聖武天皇のきさきは、「光明皇后こうみょうこうごう」。

天皇の皇后への深い愛情が、

「光明」を導いたのかも知れませんね!

南大門

竹林寺で行基さんのお墓に参った後、

行基さんが亡くなった場所である

喜光寺(菅原寺)へ。

駐車場からすぐ見えるのが、

平成二十二年(2010)復興の

南大門(右側)と、

重要文化財に指定された、

天文十三年(1544)再建の本堂です。

南大門正面。

喜光寺縁起。

秘仏の宇賀神像が特別開帳されていて、

何か丁度いい時期に来たようです(笑)

仁王像(阿形)

Wikipediaによると

彫刻家、中村晋也氏の作となっています。

また、

薬師寺にも「釈迦十大弟子像」や

「高田好胤大和上像」など

中村晋也氏の作品があるそうです。

高田好胤さんの話の面白さは絶品で、

僕は高校の修学旅行で体験させて戴き、

今でもその面白い話の記憶が

残っているほどです。

写経勧進と楽しい話術によって、

薬師寺の復興と繁栄に大貢献された事で、

銅像にまでなられていたのですね!

そんな高田好胤大和上と

同じ師匠を持つのが、

喜光寺の山田法胤住職です。

この人もまた、実に素晴らしい方ですが、

その話は、次のブログ、

「喜光寺・行基堂」にて書きます。

仁王像(吽形)

なんと、

ここには「関所」(笑)がありません。

本堂裏側に位置する本坊で入山料を納め、

勝手に?本堂に入っていいのです。

これはまさしく「仏の心」、

信用していただくからには、

期待にちゃんと応えねばと

逆に身が引き締まります。

本堂へ。

パンフレットには、

「行基菩薩は東大寺造立に当たり、

喜光寺の本堂を

参考にされたという伝承から、

この寺は「試みの大佛殿だいぶつでん」として

知られています。」

このように書かれています。

ちなみにこちらが大仏殿です。

確かに雰囲気は似ていますね!

現在ある東大寺の大仏殿は、

江戸時代に再々建されたものですから

行基さんの時代のものとは違いますが、

その魂が受け継がれているのは

間違いないでしょう。

本堂を斜めから撮影。

 

 

参拝へ。

まずは外からご挨拶。

「菅原寺」の扁額。

入場。

写真撮影可能なようなので、

敬意を持って撮らせていただきます。

真ん中がご本尊、

平安時代に造像された、阿弥陀如来像。

脇侍わきじは二体とも南北朝時代のもので、

向かって右側が観音菩薩像、

左側が勢至せいし菩薩像です。

吹き抜けの天井。

ここも大仏殿っぽいかな?

ロータスロード

僕たちが喜光寺を参拝したのは7月中旬。

蓮の季節ということもあり、

こんな催しが行われていました。

「奈良・西の京

ロータスロード

蓮と歴史を楽しむ旅」

ここ喜光寺のほか、

薬師寺、唐招提寺、西大寺の

4つのお寺の蓮を楽しむという企画で、

バスツアーや、パステルアート教室など

楽しそうなイベントが予定されています。

午後だからでしょうか、

喜光寺の蓮の花は、

少しだけ咲いています。

暑い中、250鉢もあるという

蓮鉢のお手入れをされている

おじさまに感謝。

竹林寺でもそうでしたが、

葉っぱに乗った水滴に癒やされます。

妻と蓮花の共演。

こっちにも癒やされた・・かも?(笑)

荒廃と復興

本堂の横には、

明治から昭和にかけて、

歌人、書家、東洋美術史家として

活躍していた、

新潟県出身の會津八一あいづやいちという方の

歌碑が建っています。

読めないな~と思ったら、

しっかり解説されています。

「會津八一歌碑」

「ひとりきてかなしむ

てらのしろかべに

汽車のひびきの

ゆきかへりつつ」

「會津八一は大正十年と十一年の秋に

喜光寺(菅原寺)を訪れている。

一人で来て、

荒廃した寺を目の当たりにし、

悲しさに心をうちひしがれて

この歌を詠んだ。

八一は「自註鹿鳴集」に、

「この歌を詠みしは、

この寺の屋根破れ、

柱ゆがみて、

荒廃の状目も当てかねし頃なり。

住僧はありとも見えず。

境内には所狭きまでに

刈稲の束を掛け連ねて、

その間に、

昼も野鼠のすだくを聞けり。(略)」と

記している。」

このように書かれています。

大正十年といえば、

竹林寺の行基さんのお墓が、

内務省により

史蹟に指定された年ですね!

八一さんは、それに合わせて、

行基の足跡を訪ね、

奈良に来られたのかもと思うと、

何だか親近感を覚えます(笑)

荒廃していた時には散乱していたであろう

お地蔵様たちも一箇所に集められ、

整然と配置されています。

参拝。

歌碑により過去の荒廃を心にとどめつつ

南大門の復興など、

未来に向かっていく・・・

素晴らしいお寺ですね、喜光寺さんは!

(喜光寺・行基堂に続く)

 

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