喜光寺・行基堂(奈良市)

 

何事もトップ次第

喜光寺きこうじのサイトには、

創建から繁栄・荒廃の歴史が

分かりやすく紹介され、

それに続いて、

「平成2年(1990)、

山田法胤やまだほういん住職が就任し、

行基菩薩の遺徳顕彰と

伽藍復興を目標にかかげて

「平成の復興」がはじまりました。」

このように書かれています。

山田法胤住職は、

薬師寺の管主(トップ)を勤め、

その後長老となられ、

喜光寺の住職を兼任されている方ですが、

僕はまず、喜光寺の参拝券で

ぶっ飛びました(笑)

喜光寺の参拝券。

「書・画 薬師寺長老

喜光寺住職 山田法胤」

こう書かれています。

凄いですね!

住職さん自らの書と画があしらわれ、

お寺と参拝者への愛情が、

ビシバシ伝わてきます。

また、「和顔愛語わげんあいご」とは、

「おだやかな顔と思いやりの言葉で

人に接する」みたいな意味で、

こんな優しいお気持ちに

またまた、感動してしまいます。

そんな方が、取り組んでいらっしゃるのが、

こちらの

「行基さん大感謝祭」です。

本坊でいただいたパンフレット。

凄いですよね!

こんな企画を実行し、

自らも特別審査員として

第一線で動かれているのですから。

「行基菩薩の遺徳顕彰と

伽藍復興を目標にかかげて」

まさに、この言葉の実践、

ただただ頭が下がります。

裏面いっぱいに書かれた

「行基さんゆかりの地」

近畿地方だけでも

こんなに沢山あるのですね。

発信する事がどれだけ大切か、

それによって、

どれだけ多くの人を喜ばせられるか、

そして、繁栄も衰退も

トップ次第であること、

改めて、心に染みました。

行基堂

喜光寺の行基堂が建立されたのは、

平成26年(2014)。

山田法胤住職の伽藍復興の一つが

また実を結んだという事でしょう。

本坊から行基堂へ。

行基堂の手前には鉢が並べられ、

何やら案内があります。

「津波によって蘇ったミズアオイ」

これを見て、

正直何のことかわかりませんでしたが、

ネットで調べると

大昔、埋まってしまっていた

ミズアオイの種子が、

津波で掘り起こされ、

現代に蘇ったそうなのです。

そんなミズアオイを大切に

育てる住職のお気持ちに

またまた感動してしまいます。

行基堂。

正面から中へ。

扁額の文字は、

昔風に右から左へ書かれています。

行基菩薩坐像。

かなり古いものかと思いきや、

実は、この行基像、

20年ほど前に造られたレプリカで、

オリジナルは、行基さんのお墓がある

竹林寺にあったもので

現在は唐招提寺に安置され、

重要文化財となっています。

経年劣化をそのままに再現し、

ここまで完璧に造りあげる技術、

素晴らしいと思います。

お顔アップ。

この迫力、

もはや、新たな

「喜光寺オリジナル」と言えますね。

行基さんの背後には、

「堂内千躰地蔵」という

小さな木彫の

お地蔵様が配置されています。

弁天堂

次に本堂裏手の弁天堂へ。

弁天というにふさわしく

お堂は池の中に建っています。

石橋でお堂へ。

池もお堂も手入れが行き届き、

眺めているだけで、

心洗われる気分になれます。

「弁天堂 御神影 宇賀神像」

案内を抜粋・要約すると

「宇賀神は、喜光寺弁天堂の神体として、

平生は厨子の中にて安じております。

当寺の宇賀神は、

「喜光寺縁起」によると、

鎌倉時代、

西大寺中興の興正菩薩 叡尊が、

相模国の江ノ島弁財天より

勧請されたと伝えられます。

宇賀神は「人頭蛇身」のすがた、

とぐろを巻いた蛇が鎌首を持ち上げ、

その頭は鬚をたくわえた

老翁顔をされている、

神々しいお姿であらわされます。

日本では神仏習合の思想や密教の影響から、

弁財天の眷属である白蛇と

宇賀神が同一視されるようになり、

あつく信仰をあつめております。」

このようになります。

たまたまご開帳時期だったので、

直接、宇賀神様に参拝出来たのは

かなりラッキーでした。

本堂前のツーショットで、

喜光寺参拝は完了です。

 

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