木之本地蔵院(長浜市)阿弥陀堂

 

「旧」の旧字は「舊」

旅していると

史跡などで時々見かけるのが、

「舊」という文字です。

これは「旧の旧字」なのですが、

何度見ても忘れています(汗)

という事で、

ここで復習の意味でも

「舊」は「きゅう」と読む事、

書き記しておきます(笑)

阿弥陀堂

本堂地蔵菩薩大銅像を参拝し、

木之本地蔵院境内の

一番奥の阿弥陀堂へと向かいます。

参拝図でも確認。

エントランス。

「南無地蔵菩薩」の幟に隠れるように(笑)

「阿弥陀如来」の文字が見えていますね!

阿弥陀堂全景。

その手前に気になる建物を発見。

「明治天皇木之本行在所あんざいしょ」の標柱と説明。

「明治十一年北陸東海御御巡幸の際

十月十日御駐泊あらせされる處にしてよく

舊規模を存せり」

このように記されています。

明治十一年十月十日といえば、

明治天皇が福井県敦賀市を御巡幸の際、

水戸天狗党の武田耕雲斎らが祭られる、

松原神社に500円を

下賜された日ですね!

同じ日にここに宿泊されたという事は、

敦賀を行幸直後、

長浜との境、玄蕃尾城の城域で、

刀根越えと言われる

久々坂(くぐさか)峠を越えて

ここ木之本地蔵尊に到着されたのでしょう。

今から150年近く前、

まだ道が整備されていない当時を思えば、

これは相当な強行軍で、

天皇を担いで峠越えをした人の事を思うと

自分までが筋肉疲労になりそうです(笑)

庫裡。

こちらも江戸時代の再建でしょうか・・

阿弥陀堂の中に入って、

阿弥陀如来様に参拝。

(撮影禁止なので写真は無し)

豊川稲荷・蚕神

阿弥陀堂の右側には、

二つのお堂があります。

吒枳尼真天だきにしんてん」の標柱。

参道。

豊川稲荷の幟と吒枳尼真天からして、

愛知県豊川市の豊川稲荷

勧請されているのでしょう。

参拝。

そしてお隣のお堂へ。

地図には「蚕神」と記されている

蚕影(こかげ)明神。

「養蚕の守護神で、

服飾・繊維・芸道の明神様」

このように案内されています。

金比羅・鎮守・岩神

参拝の最後は、

参拝図の入口付近に記された三つのお堂へ。

左から岩神・鎮守・金比羅。

まずはここから遥拝。

「鎮守」に参拝。

「金比羅大権現」に参拝。

家紋

木之本地蔵院を出て

駐車場に戻る時、妻が一言、

「あれ。家紋じゃない?」

お〜街灯に家紋がありますね!

手前は福島正則の沢瀉(おもだか)

右は加藤清正の蛇目(じゃのめ)です。

ここはきっと「賤ヶ岳七本槍」の家紋で

街を盛り上げているのでしょう!

遠くには他の武将の家紋も見え、

もっとじっくり巡りたかったけど

時間切れで、またの機会に・・・

木之本地蔵尊が秀吉の本陣だった事、

この家紋のお陰で、

最後にその痕跡を見ることができ、

ちょっとした

達成感を味わっています(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください