高知城(2019年高知の旅)前編

 

空襲と文化財の運命

高知城は日本で12城しか存在しない

江戸時代に建てられた天守を持つ

お城の中の一つです。

江戸時代の火災や

明治維新の廃城令をかいくぐった天守も

第二次世界大戦末期のアメリカ軍の空襲では

その多くが消失しています。

そして高知市にも大空襲は行われ、

坂本龍馬の生家や記念碑は罹災し、

焼けてしまいました・・・

ところが、

めっちゃ目立つ高知城の天守はじめ

櫓などの多くの文化財は生き残っています。

アメリカ軍が文化財を保護するなんて

そんな考えは無かったでしょう。

京都が空襲されなかったのは、

寺社などの文化財を残すのではなく

広島、小倉、長崎とともに

原爆投下予定地であり

原爆一発での破壊力を検証実験するため

できるだけ事前の破壊を

行わなかっただけという事実は、

戦後、アメリカ軍の資料でも

明らかになっています。

それ故、高知城は、相当に

幸運なお城とも言えるでしょうね。

高知城へ

高知城は高知市内の

中心部に位置しています。

お城のすぐそばの有料駐車場に

車を置いたら早速散策開始です。

写真付き道案内は助かります。

まずは、近くの山内一豊像へ。

山内一豊像への入口には、

「縣社 藤並神社」と社号標が

ありますが、神社は見あたりません・・

後で調べると、昭和53年(1978年)

山内神社に合祀されていました。

初代藩主、山内一豊像。

これは、金属供出で無くなった

オリジナルを戦後復元したものです。

Wikipediaによると

元の像は、

「土佐のミケランジェロ」と呼ばれた

本山白雲(もとやま はくうん)の作品です。

この方は、運良く金属供出を逃れ、

今もなお桂浜に建つ

坂本龍馬の銅像はじめ、

戦前、日本の多くの銅像を制作した人で、

その数は300体以上もあったそうですが、

しかしその殆どが、金属供出され

溶かされてしまいました(悲)

本山白雲さん、

坂本龍馬ほど有名ではありませんが、

残した実績は凄く、

まさに高知の偉人と言えるでしょう。

このあたりには史跡が沢山。

でも時間がないので

ほとんどスルーでした(汗)

堀。

高知城前にはお城にマッチした、

石垣のデザインが素敵な

高知城歴史博物館があります。

実は、当初ここに入る予定でしたが、

五色の浜などを巡るコースに変更し、

持ち時間が無くなってしまい(汗)

ここは次回来ることに変更したのです。

きっと中身は素晴らしい博物館でしょう!

追手門が見えてきました。

そして、妻が発見したのが、

「野中兼山先生邸址」

前日僕たちが訪問した

新川の落とし」をはじめ、

江戸時代初期、

数多くの土木事業で、

地元の人々に貢献した

土佐藩家老の野中兼山邸が

このあたりにあったようです。

追手門。

妻と比較すると

石垣の大きさが凄いのがわかります。

大きく太い柱が何本か横たわり、

この大きな門を支えているようです。

場内から見た追手門。

ここからは天守の頭が見えます。

手前の石垣に囲まれた所には

板垣退助の銅像が建っています。

「板垣死すとも自由は死せず」

昔この言葉を教科書で習いました。

そして、僕らの世代なら

百円札の人としても有名です(笑)

高知出身だったのか・・・。

妻が「あ~スッキリのポーズだ!」

と言ったので、板垣退助と妻の

ツーショットスッキリポーズを撮影(笑)

でも本家のスッキリは

両腕を出していたような・・・?。

この像の横にあったのが、

こちらの案内です。

高知公園のセンダン。

「土佐ではすべての旅人のため、

センダンを植えていた」

と書かれています。

そして、この案内板で、僕が感動したのが、

この芸の細かさでした。

凄い!

毎年交換できるよう

樹齢の部分のプレートだけが、

スライド交換式になっています!!

一旦書いたら何十年も

そのままというのが案内板の常ですが、

これは更新頻度が毎年という優れもの。

もしろん、毎年交換しているんでしょうね・・・

してるはず・・・

いやして欲しい(笑)

センダンとの大きさの比較写真。

ここから石段を上ります。

石樋の説明。

見えました、石樋。

排水口の水が

石垣に直接当たらないように

作られたものですが、

なんか、海賊船の海に突き出た

板みたいに見えますね(笑)

まるっこい石垣は珍しい。

山内一豊の妻の銅像。

「結婚時の持参金10両で

一豊に名馬を買わせ、

それが織田信長の目にとまって

出世の糸口になった逸話は

広く知られる」

と案内に書かれていますので、

この馬はその時の馬なんでしょうね!

山内家の家紋である柏。

落葉広葉樹の柏の葉は、

翌年の新芽が出るまで古い葉が落ちずに

残っていると書かれています。

と妻から教えてもらいました(笑)

僕はこれは枯れてしまった木と

思って最初は説明も読まず

無視していたら、

妻から先程の説明を聞いて、

改めて見たのです。

確かに枯れた葉が

付いたままですね!

だから子孫繁栄の象徴にも

なっているそうです。

柏餅も縁起物なのは、

そんな理由もあるのかな?

三の丸の石垣。

石垣に沿って歩きます。

二の丸方面への石段。

高知城の石垣は、

本当に綺麗な状態で保存されています。

ここで、注目すべき看板を発見。

わざわざ「水洗トイレ」

と書かれているし、

しかも写真付きだし!

そんなに水洗トイレが珍しい時代の

看板なのでしょうか・・・・。

ただ、写真付きの案内は

とても親切で素敵だと思います!

二の丸。

天守が見えますね。

天守へと向かいます。

詰門。

本丸と二の丸を繋ぐ役目を果たす門。

天守の真下。

痛そうな武者返しの杭が出ていますね。

鐘楼。

本丸石垣。

ここから本丸へ。

いざ、天守へ!

黒鉄門(くろがねもん)手前の

白壁越しに天守を臨む。

黒鉄門。

高知城に15棟ある

国指定重要文化財の中の一つです。

扉はやはり「鉄」

まさに鉄壁の守りならぬ

鉄扉の守りです(笑)

案内。

二階には武者が隠れられる

構造になっていると書かれているので、

上を見てみると・・・

あれか!

あの穴から入って敵に備えるんですね。

だれか~脚立を持ってきて~(笑)

天守に到着。

ここまででも十分堪能出来た、

素晴らしい遺構が残る高知城ですが、

ここからまたさらに楽しみも多そうで、

テンションはさらにアップしています。

(後編へ続く)

 

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