長浜城(滋賀県長浜市)

 

秀吉の特技

長浜城は、天正元年(1573年)、

浅井氏の小谷城攻略で、

大きな手柄をたてた秀吉が、

信長から任された

初めてのお城である事や、

もともと「今浜」と呼ばれていたこの地を、

信長の一字を拝領し、

「長浜」と改めた事も歴史好きには、

よく知られた逸話でしょう。

後年の「羽柴」という名字も、先輩格の

丹羽長秀、柴田勝家の一字から付けたり

あからさまな「よいしょ」(笑)というか、

人心掌握は秀吉の特技とも言えますね。

ただ、実力が備わっての事ですから、

よいしょされた側も

結構、気持ちは良かったかも?

豊公園

この日は、琵琶湖に浮かぶ、

竹生島(ちくぶしま)へ行くため、

朝9時の船を予約。

その前の時間を使い、豊国神社と

長浜所を駆け足て散策という、

相変わらずのバタバタ旅(笑)

特に長浜城は、

天守内(博物館)に入れなくても

外見と、少しの遺構でも見られれば

儲けものという気軽な気持ちで訪問。

こんなお城散策も

肩の力が抜けて、たまには良いものです。

長浜城は明治時代からの歴史がある

豊公園内の一角にあります。

藤棚に囲まれた自由広場。

噴水広場。

噴水広場から見た長浜城天守。

太閤井戸

天守に行く前に、

太閤井戸と呼ばれる、

琵琶湖畔の井戸跡へ。

途中の景色。

琵琶湖バックの車が絵になります。

案内。

石碑。

天守閣跡

長浜城の遺構は、ほとんど無く、

現在の天守(博物館)は、

石垣も含めて全て新しく作られたものです。

その数少ない遺構の一つが、

天守閣跡と呼ばれる小高い丘です。

天守閣(天守)が実際に

建てられたのか否かは、

定かではないようですが、

秀吉の華やか好きな性格からして、

天守は建てていたでしょう(推測)。

豊臣秀吉公像。

長浜城天守閣跡の石碑。

天守(博物館)

公園を見て、井戸跡を見て、

ようやく天守に到着。

恐ろしいくらいに立派で、

ガッチリとした算木積みですね。

現代の石工さん頑張ったな~!

側面。

正面斜めから撮影。

Wikipediaには、

犬山城や伏見城を参考に

デザインされたと書かれています。

確かに犬山城の二階部分に

千鳥破風を二つ付けたような、

望楼型天守ですね。

「長浜城石垣根石」

こちらは見るからに古い石で、

築城当時のものかも知れません。

「旧長浜領境界碑」。

(真ん中の小さい方)

案内によると

「長浜は、秀吉によって

特別に町屋敷の年貢米三百石を

納めることを免ぜられた。

この特権は徳川幕府にも認められ、

他地域と区切るための石碑が、

江戸時代のはじめ長浜町のまわりに

三十数本建てられたと言われる」

このように書かれています。

時間に追われながらも

ツーショット(笑)

登城口も石垣を積んで、

立派に造られています。

今日のレトロ

豊公園内の東屋。

案内によると、

「大正七年(1918年)の開設された

スポーツ公園「長陽園」にあったものを

昭和初期に豊公園に移設したもの」

「方形造、鉄板葺、各面に

千鳥破風状の飾り屋根を付けた

複雑な屋根形状が特徴となっている」

このように書かれています。

1983年生まれの長浜城天守より

かなりのお兄さんですね(笑)

 

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