幸野川橋梁(熊本県小国町)

 

近代土木遺産

巨額赤字解消のために民営化された国鉄。

(国鉄なんて若い人には分からないかも?)

その国鉄がJRになった1987年以降、

地方の赤字路線の多くは廃線となり、

合理化が図られました。

その甲斐あってか、

分割民営化後のJRの幾つかは、

大きな利益を出している会社もあります。

そんな民営化に先駆けて

1984年に廃線となったのが、

大分県玖珠町の豊後森駅から

熊本県小国町の小国駅を結ぶ

宮原線(みやのはるせん)です。

この路線には多くの橋梁が造られ

その中でも最大級のものが

幸野川橋梁です。

文化遺産オンラインのサイトには

以下のような説明があります。

「北里駅と肥後小国駅の間に位置し,

筑後川水系樅木川に架かる

充腹式コンクリート造アーチ橋。

6連のアーチの内,

4連を径間長20mの大規模アーチとし,

その両脇に径間長10mの

アーチを連続させる。

スパンドレルに半円アーチを穿つ,

丁寧なつくりとする。」

専門用語は読み飛ばしても(笑)

いかに優れた橋であるかがわかりますね。

幸野川橋梁へ

北里柴三郎の故郷「小国町」へと

向かう途中、見えてきたのが、

幸野川橋梁です。

この道の先を右に曲がると、

幸野川橋梁はあります。

実は橋梁を行き過ぎたので、

振り返って撮ったというのが、

正しいのですが、

あまり深く考えない事に(笑)

昭和時代、1939年頃の建造で、

登録有形文化財(建造物)になっています。

建設当時の日本は、日中戦争も長引き、

鉄不足で、鉄筋の代りに、「竹筋」が

使用されたという噂?もあって、

「竹筋橋」などと呼ばれてもいるそうです。

しかし、

鉄筋の代用になるのかな?竹が・・・

目視出来ない両端を除いた全景。

竹筋が入っている(かも)とは

全く思えないほど頑丈そうで、

立派な橋を眺めていると、

この橋梁の上を走る往時の蒸気機関車を

想像してしまいます。

きっと絵になるだろうな・・・

橋脚の3つの穴は通風孔でしょうか?

ただのデザインなのか、

風を逃すためなのか、

いずれにしても素敵な

アクセントになっています。

穴のアップ(笑)

機能美とでもいうのか、

景観としても素晴らしいものがあります。

色んな角度から撮影。

最後に下から見上げて撮影。

なんだか芸術だ~(笑)

千年の時を越えて・・・

冒頭、

「大分県玖珠町の豊後森駅から

熊本県小国町の小国駅を結ぶ

宮原線」と書きましたが、

ふっと思ったのは、この日先に訪問し、

下城の大イチョウ前の案内で読んだ、

平安時代の悲恋のヒロイン、

小松女院のことです。

醍醐天皇の孫、小松女院が、

清少納言の兄、清原正高との

許されない恋愛の末、

豊後玖珠に左遷された正高を追って、

小国から玖珠へと向かったお話と

ルートが何だか、かぶっているのです!

宮原線を作った当時の人の中には、

もしかすると僕と同じ事を考えていた人も

いたかも知れません・・・

この旅は、千年の時を超えた、

小松女院の気持ちが、

僕たちに乗り移って

この橋梁とも出会わせたと考えるのが、

ロマンティックというものでしょう(笑)

 

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