彌彦神社(新潟県弥彦村)その2

 

幸運な神橋

彌彦神社の建造物は、

明治四十五年の大火災で殆どが全焼し、

大正時代に再建されています。

そんな大火災でも焼けなかったのが、

「玉ノ橋」と呼ばれる神橋の太鼓橋です。

運命というか、幸運というのか、

神様の采配だったのか・・・

というわけで、

「玉ノ橋」は幸運のご利益をいただける、

彌彦神社でも特別な場所と言えるでしょう。

東参道

祓戸神社、下諏訪神社を参拝後、

東参道を進みます。

右下が下諏訪神社。

ここから東参道で鹿苑を通り、

火の玉石へ。

その後、表参道を戻って

一の鳥居へと向かう予定です。

東参道の社頭。

鹿苑。

のどかな鹿たち。

日本鶏舎。

日本固有のニワトリを保護しています。

奥へ。

YouTubeの

バスガイドぶらり旅」で知った

火の玉石へ。

「火の玉石(重軽の石)」

石のいわれは

以下の通りです。

「江戸時代、津軽の殿様が

日本海を海路で帰国途中、

佐渡沖で暴風雨に遭い、

弥彦山に向かい、鳥居奉納を誓って、

神に祈ったところ風は消え、

無事帰国できたが、

鳥居の奉納はしなかった。

その為か、

二つの火の玉が天守を飛び回り、

神様のお怒りだと藩主は驚き、

結果、鳥居奉納は果たされ、

火の玉は消えた。

その二つの火の玉だったのが、

ここにある火の玉石である。

その石を

願いを込めて持ち上げ、

軽いと感じれば願いは成就し、

重いと感じれば成就しないとの

言い伝えがある。」

恩義は決して忘れてはいけないという

教訓話でもありますが、

諺、「刻石流水こくせきりゅうすい」の

「受けた恩は石に刻むように覚え、

かけた情けは水に流して忘れろ」

これを「是」とするならば、

神様も少〜しだけ大人気なかった?

かもしれませんね(笑)

う〜ん重い!(汗)

願いは叶わず・・?

本参道

実は、僕たちは、

本参道のことを忘れそうになり、

手水して本殿に向かおうとしたのですが、

何とか気付いて(笑)

本参道の一の鳥居へと向かいました。

危ない、危ない!

一の鳥居前。

立派な両部鳥居です。

ここで、またもや

「バスガイドぶらり旅」情報を確認。

真ん中の柱、浮いているんですよ!

中を見るとこんな感じで、

浮いてはいないけど、

ここに力はかかっていないようですね。

地震対策の一環でしょうか?

鳥居をくぐると

神聖な森が現れます。

この石橋の左側に並行するのが、

こちらです。

御手洗川の手水場。

清流での禊で、

妻もさらにパワーアップ(笑)

奥には冒頭に書いた「玉ノ橋」が

見えています。

ズームで撮影。

この後、橋へ。

覆屋の中に大切にされています。

神様が渡るのには、

ちょっと苦労しそうな急坂です(笑)

「御神橋 玉ノ橋」

案内を抜粋すると

「当神社古記録によると、

和銅四年(711)勅命により

宮殿が改められた境内建造物の中に、

御池「玉ノ橋」が記載されている如く、

古くから参道中程に「御神橋」があり、

室町時代の境内図にも描かれている。

明治四十五年、弥彦大火の際、

社殿始め境内建造物を焼失した中で、

明治二十九年改築された

「玉ノ橋」だけはその難をまぬがれた。

その後、

外苑弥彦公園に移転されていたが、

昭和六十年、清流御手洗川に

復元修理したものである。」

正面。

玉ノ橋から禊場を望む。

玉ノ橋を見ながら、

表参道の橋を渡り手水舎へ。

妻は元気に禊場をジャンプして通過(笑)

(続く)

 

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