郡山城(広島県)五大曲輪編

 

勝手に命名(笑)

副題を五大曲輪偏としましたが、

郡山城の案内には、

五大曲輪などとは、

全く書かれてはいません。

勝手に命名しましたが、

ただ、実際に巡ってみて、

何となく、この表現が

当たっている気もしています(笑)

いずれにせよ、

郡山城が、鉄壁の防御を考えた、

巨大山城であるのは、

間違いありません。

釣井の壇

最上部の櫓台へ行った後は、

本丸の周囲に配置された

代表的な五つの壇(曲輪)を、

御蔵屋敷から時計回りで一周します。

山の形が、よくぞ星型の

尾根になっていたものですね。

この地形を最大限活かして

縄張りを考えた元就さんは、

やはり築城の名人とも

言えるかも知れません。

二ノ丸下を歩き釣井の壇へ。

案内。

「釣井の壇は、長さ75m、

幅15m、面積1000㎡の

長大な曲輪である」

「直径2.5mの井戸があり、

本丸に最も近い水源である」

このように書かれています。

井戸(跡)。

長大な曲輪。

姫丸壇

次に姫丸壇へ。

細い道で移動。

姫丸壇。

案内。

「(前略)

この壇に基礎を置いた

本丸の石垣中に、

元就築城のとき「百万一心」の

礎石を埋めたとの伝説があり、

文化十三年(1816)夏、

長州藩士武田泰信が

この石を見て、拓本にとり

持ち帰ったと伝えている。」

このように書かれています。

釜屋の壇

次は、釜屋の壇へ。

案内も三矢です(笑)

釜屋の壇。

案内。

「この壇は、20m×24mで、

300㎡の台形をなし、

本丸から15m下位にあり、

(中略)この壇の曲輪群は、

これからそれぞれ2mから4mの

比高差をもって

五段続いている(後略)」

このように書かれています。

五段続いていると書かれた

先端部の曲輪を撮影。

厩の壇

次は厩の壇へ。

右側の「羽子の丸」は少し遠く、

今回はパス。

相変わらず険しい道で、次なる壇へ。

厩の壇。

案内。

「本丸の南東方の

長さ400mにも達する

長大な尾根の基部にあって、

17mと24mの段から

尾根に沿って7段と、

それから北に分かれる

4段の曲輪からなる

(中略)

基部の曲輪から釜屋の壇へは通路がのび、

南側の段へも通路があり、

幅3mから5mの付曲輪がある。

この南側下の段が

馬場とよばれていることから、

厩の壇には厩舎が

あったところと考えられる。」

このように書かれています。

三の丸

次は、五番目の「勢溜の壇」ですが、

その途中に三ノ丸があるので、

そこを散策します。

道標。

案内。

「三の丸は、城内で最大の曲輪である。

曲輪内は土塁や削り出し等により

さらに四段に分かれている。

(中略)

西の段(三の丸虎口)は、

周囲を石垣や石塁で

囲まれていることもあり、

この部分が、郡山城のなかでは、

最も新しい時期の

遺構であったと考えられる。」

このように書かれています。

確かに石垣の規模は、

このお城随一のようですからね!

三の丸の風景。

勢溜の壇

次に勢溜の壇へ。

虎口的なエントランス。

案内。

「(前略)

十段の大型の曲輪からなる壇で、

尾根沿いに、比高差約1mで、

面積約500㎡から

700㎡の広さの曲輪を四段重ね、

その先にこれらを取り巻く

帯曲輪を三段、

さらにその先端には

付曲輪を加えている。

(中略)

ここには、本丸守護の兵が

滞在していたことがうかがえる」

このように書かれ、

ここが本丸防御の中心として

重要だったことがわかります。

勢溜の壇の一部分を撮影。

ここからは、下山しながら

さらなる散策が続きます。

 

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