郡山城(広島県)展望台偏

 

完璧は目指さない

旅をする時、

この際だから、あれも、これも

全部行きたい、見たい・・・

そう思ってしまいがちですが、

なかなか、

完璧に巡ることはできません。

そんな経験も踏まえて、

ここ数年、旅のやり方は、

とにかく完璧を目指さない事。

こんな考えだと、焦ることも、

イライラする事も、

そして、後悔することもなく、

「妻との楽しい旅時間を過ごす」

という本来の目的から

外れる事はありませんからね(笑)

満願寺跡

毛利元就(毛利氏)が、

神仏への崇敬が

篤かったからなのかも知れませんが、

郡山城内にはいくつものお寺があります。

菩提寺としては、毛利隆元の常栄寺、

毛利元就の洞春寺、

それ以外に、満願寺、妙寿寺が

元就の生前からあるようで、

その一つ、満願寺跡へと向かいます。

案内が親切なので、

迷うことはほぼありません。

もうすぐ満願寺跡。

案内。

「(前略)

毛利氏が入城する以前の

かなり古くからあったと伝えられ、

寺伝によると

天平十二年(740)に

行基菩薩が当地にこられ

可愛川釜ヶ淵で、小さな観音を得られ、

自ら大きな千手観音木像を彫刻し、

満願寺を建て、

これを安置したということに始まる」

このように書かれ、

元就が本家相続後の入城日を、

満願寺法師、栄秀が決めた事、

越前の幸若太夫が滞在し、

幸若舞を舞った事なども

書かれています。

礎石というよりも

瓦礫っぽいのが今も残っています。

蓮池の案内。

満願寺のさらに奥にある

妙寿寺までは時間と、

疲労の都合で行けなく、

道案内の撮影にて完了(笑)

尾崎丸堀切

所々にある案内図のお陰で、

郡山城の散策は、

地図いらずとも言えます。

満願寺から下ると、

尾崎丸という曲輪があり、

ここも時間と体力の問題で、

パスする予定でしたが、

その手前にこんな表示を見つけました。

奥にあるのは、

「尾崎丸堀切」という案内。

堀切。

今は浅くなっていますが、

往時は、

もっと急な斜面だったのでしょう。

展望台

さらに下山。

こんな案内を発見。

展望スポットと書かれていれば、

立ち寄るしかありません。

吉田町の風景。

ここも曲輪の一つだったのでしょう。

さらに下ると元々の郡山城だった、

「旧本城」への案内がありますが、

またもや時間と体力を理由にパス(笑)

巨大な郡山城になったのは、

元就の代になってからのことで、

旧本城は砦のような

小規模なものだったそうです。

そして、少し行くと、

本物の(笑)展望台に到着。

巨大な「一文字三星」の家紋で、

テンションアップ(笑)

吉田町展望図。

郡山城の籠城戦で、

尼子氏の大軍が、

里の家々を焼き払い、

城に迫って来た時、

元就は何を考えていたのでしょう・・

「必ず勝ってやる!」

そんな前向きな

強い思いだけだったのかな?

郡山大師堂

展望台からさらに麓に行くと、

郡山大師堂という

郡山城の地図には載っていない、

お堂を見つけました。

まずは弘法大師様にご挨拶。

そして、

お堂の左側には、

沢山のお地蔵様が

いらっしゃるではないですか!

「八十八ヶ所」と刻まれた

石碑からすると、

お地蔵様は88体あり、

すべてをお参りすると

四国八十八ヶ所霊場を

巡ったのと同じ

ご利益があるというものでしょうか?

この道は、少し先の、

毛利隆元(元就の長男)の墓、

毛利元就、の墓所へも続く道。

そんな思いもあって、

ここに沢山のお地蔵様が

あるのかも知れません。

お地蔵様は続くよどこまでも・・

郡山大師堂の下には、

庭園が広がっています。

ここが郡山城の麓、

これにて郡山城の攻城は完了です。

 

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