金刀比羅宮(香川県)その5奥社へ
最長滞在記録更新
一般的な神社での滞在時間は、
平均40分~1時間。
多くても1時間半あれば
参拝を終えています。
記憶の中で、過去一番
滞在時間が長かったのは
滋賀県の日吉大社で2時間半。
しかし、金比羅宮は、
ただでさえ見所が多い中、
鞘橋や境外社、奥社までも参拝、
それに加え、境内で食事をした事もあり
いつの間にか5時間ほどの滞在となり、
神社滞在記録を更新しています(笑)
嚴魂神社(奥社)へ
御本宮までの785段に
プラス583段で、
通称、奥社といわれる
嚴魂神社(いづたまじんじゃ)に
参拝する事が出来ます・・・
などと書くのは簡単ですが、
行くのは・・・大汗でした(笑)
御本宮の御饌殿脇から
奥社へと向かいます。
案内。
「奥社まで片道30分程」
このように書かれていますが、
僕たちは、驚くなかれ、
ぴったり30分で、
奥社に到着したのです。
途中、いくつかの境内社で
撮影したりしたにも関わらず、
オンタイムだった事に、
「意外と体力残っているじゃん」と
ほくそ笑んでしまいますね(笑)
ここから石段がスタート。
ちょうどこの時、
一羽の「ヤマガラ」が飛んできて、
鳥居の右上に一瞬止まったのです。
参拝途中、
500段目で営業している
レストラン「神椿」のスタッフさんから
ひまわりの種を貰って、
僕たちの手の上に飛んできた
あのヤマガラですよ!
妻のおばあちゃんが、
ヤマガラになって出迎えてくれたようで、
幸先良いスタートに
二人して喜び合ってしまいました。
奥社への参道で、多いのが
スロープ状の道。
段数には数えないものの、
距離は飛躍的に伸び、
思った以上に歩く事になります(笑)
境内社を発見。
常磐神社。
御祭神は、武雷尊と誉多和気尊。
途中で見つけた、
安政七年(1860年)の石碑。
何と、30回も参詣されていますよ!
白峰神社
常磐神社から2分ほど歩くと、
石段の上に手水舎らしきものが
見えて来ます。
まさか、もう奥社か?
これは白峰神社の手水舎。
奥社がいきなり
出現するはず無いですから(笑)
白峰神社への石段と鳥居。
御由緒。
主祭神は保元の乱で敗れ、
讃岐(今の香川)に流された
崇徳天皇です。
檜皮葺の手入れも素晴らしい拝殿。
「崇徳天皇は(中略)
白峰の郷に崩御なされた」
白峰神社という名前は
そこから付けられたのでしょう。
参拝。
ご由緒書によると、
中門左右の随神には、
源為義、源為朝の像が
安置されていると書かれています。
このお二人、
保元の乱で崇徳天皇の味方に付き、
戦い、そして、敗れた親子ですので、
白峯神社の随神様として、
これ以上の適任者はいないでしょう。
卯花谷休憩所へ
白峰神社の参拝を終え、
ふたたび参道へ。
道すがら見つけた
「代賽一千度の碑」
千回参拝したという事でしょうか?
まさかそんな事は・・・。
菅原神社。
石段、石段、そして石段!
ようやく「卯花谷休憩所」に到着。
しかし、ここで休むと、
気力が萎えそうなので、見るだけ(笑)
休息所にあった、
奥社で授与されている
天狗のお守りの案内。
最後の270段
卯花谷休憩所から
奥社までは、あと270段。
距離にして200m。
この数字を見ると、
何だか力が湧いてきますね。
お~遂に奥社の手水舎を発見!
手水舎に到着。
青銅製の手水鉢は、
今から200年以上の昔、
文化四年(1807年)の寄進。
いよいよ最後の直線に入って来ました!
見えた~!!(笑)
麓から、1368段目を踏みしめる妻。
涼しい顔していますが、
足腰は・・・(笑)
石段の数と記念撮影。
海抜、421mもあるんですね。
参拝。
案内。
御祭神の嚴魂彦命は、
中興の祖として、
天正期(戦国時代後期)活躍した、
「別当職金剛坊宥盛」が
神格化されているようです。
明治初期、金比羅宮の存続に
貢献し参道途中の
大門の手前に銅像も建っている
元の別当で宮司だった、
「琴陵宥常」にも「宥」の文字が
入っていますので、
きっと宥常さんの
ご先祖様にあたる方なのでしょう。
拝殿横から本殿を臨む。
この後、奥社名物の
天狗様を拝みます。
右、天狗、
左、烏天狗。
高い場所にあるので、
ズームして撮影。
岩肌と一体化していますね。
こんな案内もありますが、
体力と気力低下のため、
写真を撮っただけ(笑)
最後に気力を振り絞り?
ツーショットで参拝完了。
今日の注目
奥社参道脇にあった、
「電話器械寄附」の石碑。
江戸時代が終わってから
まだ33年という早い時期に、
金比羅宮には、
電話設備があったのですよ!
僕の実家に電話が来たのが、
その70年後、
昭和45年位だったというのに(笑)
やっぱり凄いな、金毘羅さん!