高野山・奥之院(5)

 

心安らぐ場所・・

奥之院には無数の墓や供養塔がある

死者を弔う場所にもかかわらず、

何となく心が安らぐ場所でもあります。

ここにいらっしゃる多くの方々が、

そうさせてくれるのかも知れません・・・

もはや、住んでも良いくらいか?(笑)

鳥取池田家墓所

鳥取藩は因幡国、伯耆国の

2国(現在の鳥取県)を治めた大藩で、

初代藩主の池田長吉は

家康の次女、督姫の婿である

池田輝政の弟。

家康の実の娘という御威光は、

明治維新まで続いた

鳥取藩、岡山藩という

二つの池田家繁栄の

大元と言ってもいいでしょう。

ちなみに督姫さん、

最初の夫は北条氏直さんで、

北条氏滅亡後、

高野山に流された人。

なんだか、ご縁を感じます・・・

参拝。

相模 小田原 大久保家墓所

次は小田原城主の大久保家墓所。

今年は小田原城を訪問し、

大久保さんの事を知っていたので、

ちょっと親近感わきますね(笑)

徳川家康の重臣、大久保忠世の嫡男、

忠隣(ただちか)が藩祖で、

大久保家は途中改易されるも復活、

後に、小田原藩主として復活、

そのまま幕末を迎えています。

参道。

参拝。

津軽家墓所

次は、青森県の津軽家。

正直、ほぼ知らない(汗)

Wikipediaによれば、

弘前藩の藩主で、初代は津軽為信。

居城は、現存天守もある弘前城。

何度か跡目争いのお家騒動が

あったと書かれていますが、

明治維新まで続いたことは、

すべて丸くおさまったという事かな(笑)

参拝。

美濃 大垣 戸田家墓所

次は、現在の岐阜県大垣市、

大垣城を居城としていた

戸田家の墓所へ。

大垣市は僕達が、

関ケ原に行った前夜泊まった所ですが、

その時は時間が足りず、

大垣城には行っていませんので、

ほぼ知識はありません(笑)

Wikipediaよれば、

寛永十二年(1635)

戸田氏鉄(うじかね)が入り、

明治維新まで戸田氏が続いています。

参拝。

井伊掃部頭墓所

「井伊掃部頭」って何だろう?

そう思って調べると

井伊直弼(なおすけ)のことでした。

桜田門外の変で殺された人ですね。

立派な廟所もあります。

屋根に配置された井伊家の家紋。

廟の左側の五輪塔。

廟の右側の五輪塔。

伊達政宗公墓所

次は伊達政宗公の墓所。

鳥居を見て妻が、

「あれ見て!」

そう言った先を見ると・・・

お~!松の木の盆栽ですよ!

苔のむし方も素晴らしく、

盆栽コンクール「偶然部門」で

優勝間違いなし(笑)

さすが、伊達政宗さん、

お墓もお洒落に決めてます。

参拝。

奥州 伊達家墓所

ここには四代~十二代の

伊達家の皆様がいらっしゃいます。

参拝。

阿波 徳島 蜂須賀家墓所

蜂須賀さんといえば、

蜂須賀小六が頭をよぎります・・。

徳島藩祖、蜂須賀家政のお父さん、

正勝さんのことですが、

テレビの影響で、

秀吉配下の小六さんのイメージは

なかなか消えません(笑)

小六さん、いや、

蜂須賀家の皆様に参拝。

上州 館林 榊原康政墓所

榊原康政は徳川四天王の一人。

Wikipediaによれば、

榊原家は、館林から姫路藩など

いくつもの転封の後、

越後高田藩で、

明治維新を迎えた家系です。

参拝。

周防 岩国 吉川家墓所

僕が持つ岩国の吉川家は、

錦帯橋を造った偉大な藩主、

そして、

貧乏くじを引いた家というイメージです。

関ヶ原の戦いでは、吉川広家さんの

奔走のお陰で、毛利本家は改易されなく、

周防・長門を安堵となった

経緯があるにも関わらず

毛利本家には、岩国の吉川家に冷たく、

大名として認めてもらえなかったのです。

しかし、岩国藩(領)は、

幕府からは参勤交代ありの

大名待遇(笑)という、

めっちゃ微妙な立場で

江戸時代の大半を過ごしています。

しかし、毛利元就の

「吉川・小早川の両川体制で

毛利家を守る」

という教えを全うしたといえば、

そうだったのでしょう。

ここは特に苔がむしています。

参拝。

(続く)

 

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