松尾山城(岐阜県関ケ原町)
違い鎌
関ヶ原の戦いにおいて、
徳川家康、石田三成に次いで
著名かも知れない武将が、
小早川秀秋です。
西軍に属しながら戦いの最中、
東軍に寝返えり、
布陣していた松尾山から駆け下りて、
大谷吉継隊の壊滅など
東軍勝利に大きく貢献してますが、
その結果、
「裏切り者」のイメージで
語られてきた人物であるのも事実でしょう。
戦いの趨勢を決めたという意味で、
家康の評価も高く、
Wikipediaによれば、
戦後の論功行賞では、
旧宇喜多秀家領である
岡山藩55万石に加増、
移封されていますが、
その2年後、アルコール依存症で
亡くなり、小早川家は断絶しています。
そんな小早川秀秋の家紋と出会ったのが、
松尾山の麓に立てられた幟で、
その後、調べてみると、
秀秋が使用していた家紋入の陣羽織が、
国指定重要文化財として、
今も存在している事が分かりました。
「猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織」
(東京国立博物館所蔵)
これ、関ヶ原でも着ていたのでしょうか?
「違い鎌」(ちがいがま)という
名前の家紋ですが、
こんなにカッコいいというか、
ひ弱そうな小早川秀秋のイメージを
全く覆す勇猛さを持った家紋だったとは、
驚きました。
僕も妻も「違い鎌」が脳裏に焼付き
離れません(笑)
ホテルにて
関ヶ原へ向かう前夜、
石田三成が最初に滞陣した
大垣城がある大垣市に宿泊。
既にここから戦闘モード(笑)
ホテルの部屋から。
なんか、
めっちゃ関ヶ原散策日和ですね!
朝食は無料バイキング。
これもテンションが上がる要因の一つ(笑)
ご飯もパンも美味しくいただきました。
コンフォートイン、ありがとう!
松尾山登山口
大垣市から車で約30分、
松尾山麓の駐車場に到着です。
実に案内が分かりやすく、
ナビとのコラボで、迷うことはありません。
駐車場。
違い鎌の幟が、
僕たちの気分を盛り上げてくれます。
案内。
杖も準備してありますが、
僕たち二人は杖が苦手なので、
使いませんが、
そのうち、必要になるでしょう(笑)
山頂へ
事前情報によると、
小早川秀秋の陣跡がある山頂までは、
徒歩20~30分。
素晴らしく整備された登山道。
あと850m。
所々にこんな案内があるので、
かなり励みになります。
山之神神社
登山途中には、神社が鎮座。
まずは、参拝して山にご挨拶。
平坦に掘削されているのは、
ここが松尾山城の曲輪の一つだった
からかも知れません。
参拝。
千羽鶴、誰がどんな思い出
ここに吊り下げたのでしょう・・・
関ヶ原の戦いで亡くなった方々の
鎮魂かも知れません・・・。
松尾山城の曲輪
ドラマなどでは、「松尾山」と
表現される事が多いものの、
ここは、「松尾山城」という城跡です。
何となく土橋的な雰囲気。
堀切かな?
こんなアーチもお出迎え(笑)。
登山道を外れて、曲輪へ。
石垣の痕跡を発見。
曲輪。
この後、山頂の縄張り図でも
ここが曲輪だったことが確認出来ました。
小早川秀秋陣跡
神社に参拝したり
城跡の散策をしたりした割には、
予定よりも早く、30分ちょっとで、
山頂が見えてきました。
思った以上に僕たち健脚か?(笑)
もうすぐだ~。
「小早川秀秋」の幟に、
テンションMAX(笑)
注目したのは、
「元亀元年(1570)
浅井長政修築」。
元亀元年と言えば、
浅井対、織田・徳川の、
姉川の戦いがあった年ですから
浅井長政は、
ここを小谷城の前線基地として、
考えていたのかも知れませんね。
小早川秀秋陣跡。
案内。
松尾山上の縄張り図までもが、
しっかりと表示されて、
お城好きにも有り難い案内です。
土塁の向こうには、
関ヶ原が見えるはず・・・
小早川秀秋の気持ちになって、
見下ろしてみると・・・
お~!!
絶景ですよ!
ここからは関ヶ原が全部見渡せます。
近江(滋賀)との境の伊吹山も
くっきり見えていますね!
案内と照らし合わせながら
各武将の陣地を確認。
確かにここに陣取れば、
戦いの状況は一目瞭然です。
この景色は動画でみると
さらによく分かります。
やはりツーショットはここ(笑)
これ以上望みようがないほどの
澄み切った青空に恵まれた事、
小早川秀秋さん、
僕たちを歓迎してくれのかな?
本丸虎口
関ヶ原古戦場の景色に感動した後は、
松尾山上の本丸付近を急ぎ散策(笑)
陣跡から少し北へ。
本丸内から見た虎口。
本丸外から見た虎口。
この先にも曲輪がいくつもあります。
下にも曲輪が。
時間がないのでここまで(笑)
下山
一通り楽しんだ後は下山です。
名残惜しいけど、ここでお別れ。
下りは、楽ちん。
今日の気になる石
下山中に登山道の傍らで見つけた石。
お地蔵様でも彫られていたような・・・。
供養のための石仏だったのかな?