三島公園(大分県玖珠町)

 

タイミング

三島公園に行ったのが、三年前。

三つながりか・・・(笑)

そして、何となく

ブログにアップしないまま

時は過ぎ、

その後、一年半前、

二回目に行った時のブログが

先行してしまっていたのです(笑)

ですからここに出てくる場所は、

末廣神社、栖鳳楼、

久留島氏庭園など、

殆どが重複してしまいます。

なかなか同じ場所に

二回行くのは珍しい事ですが、

三島公園と僕たちには、

深~い絆があるのでしょう(笑)

このところ旅に行っていないからこそ

過去の思い出をブログアップする

良いタイミングであり

チャンスでもあるようですね。

末廣神社

末廣神社は、江戸時代、

藩主の久留島氏が、

地元伊予(愛媛)から

三島神社を勧請したのが、

はじまりと言われています。

神社を含むこの辺り一帯が

三島公園として整備されています。

まるでお城のような石垣ですが、

間違いなく神社です(笑)

登城口・・・

ではなく神社の裏口。

「桜の馬場」なんて名前、

間違いなくお城にあるものですね(笑)

境内。

日本一大きな手水鉢。

拝殿にて参拝。

本殿は鞘堂と言われる覆屋タイプです。

曳家工法

このブログを書いていて気づいたのが、

実はこの日僕たちは、

「曳家(ひきや)工法」を

目の当たりにしていたという事実です。

青森県の弘前城天守で

全国的にも有名になった

曳家工法は、思った以上に

僕たちの身近なものでした。

この日(3年前)の訪問時には

拝殿のすぐ左側の境内社に

普通に参拝していました。

この写真をビフォーとするならば、

その1年半後に参拝した時の

写真がアフターで、こんな感じです。

拝殿の横にあった境内社が、

奥の石垣の前に移動していますね!

2回めの参拝最中にはこの違いに

気づいていませんでした。

移動していた理由は、

この石垣工事です。

この日のツーショットには、

偶然というのか必然というのか、

曳屋された境内社と石垣工事現場も

しっかりと写っていました!

僕たち、曳家工法と

ご縁がありすぎですね(笑)

栖鳳楼(せいほうろう)

末廣神社すぐ前にあるのが、

栖鳳楼という古い建物です。

神社側から見ると、普通に平面ですが、

反対側からだと、全く違っています。

この二階部分が神社の裏に

面してるのですね。

案内には、

「森藩の記録では「紅葉の御茶屋」と

記されており

天保二年(1821年)の完成」

と書かれています。

ここから町並みが

一望出来ますが、

栖鳳楼の二階からだと

さらに素晴らしい

景色が見えるはずです。

藩主はじめ関係者の方々は、

きっとその眺望を楽しんでいたのでしょう。

旧久留島邸庭園

森藩、久留島氏のルーツは

瀬戸内海の海賊、

「村上水軍」の来島氏。

関ヶ原の戦いで敗軍になり、

海から山奥へと追いやられ、

名字も徳川幕府に憚ってか

「来島」→「久留島」と、

漢字を変えてしまっても

とにかく家名を存続させた、

その「しぶとさ」の血が、

庭園はじめ多くの遺構を

今に残したのでしょう。

庭園全体は広いので動画で撮影。

庭園の良さは

僕にはあまり分かりませんが、

ここにちょんまげ姿の面々が、

遊んでいたことを想像すると

ちょっと楽しくなってきます。

「童話碑」と庭園。

藩主の末裔、久留島武彦氏は、

日本のアンデルセンとも呼ばれ

童話では有名な人。

なので、玖珠は「童話の里」などとも

呼ばれていて、

三島公園には関係する石碑や

銅像などがいくつもあります。

そんな中の一つがこちら。

北九州市の

到津遊園から寄贈された

桃太郎像のアップ。

ちょっと悪ガキ風(笑)の金太郎像。

こちらコンサートホールかと思いきや、

そうではありません。

魚の鱗には何やら描かれています。

昭和62年の、

小学校卒業生なのでしょうか・・・。

こんな事を企画した当時の大人たち、

素晴らしい!!

ランチ

玖珠から次の目的地、

由布院を目指しますが、

その前にはらごしらえ。

玖珠の町並み。

道の駅?だったかな(笑)

焼肉丼だったかな?

3年前なので、

いろんな事を忘れました(笑)

 

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