宮崎縣護國神社(令和4年4月)

 

妻の気持ちが通じた・・・

以前の旅で参拝していたので、

今回の予定にはなかった

宮崎縣護國神社

高鍋城に行く途中、

たまたま通りすがった事で、

急遽参拝となったのですが、

何とこの日4月10日は

年に一度の「大祭」の日でした。

勿論、護國神社の大祭は、

御英霊達の慰霊が大きな行事となり、

ご遺族の方々の参列も多く、

護國神社で最も神聖な日と言えます。

全くの偶然で、

こんな日に参拝出来たのは、

日頃から護國神社を特別に思い、

心から感謝と哀悼の意を捧げている

妻の強い気持ちが、

御英霊の方々に通じ、

僕たちを導いてくださったからでしょう。

参道

先にお隣の宮崎神宮を参拝し、

満を持して(笑)護國神社の参拝へ。

一の鳥居。

「平和の守護神」。

間違いなくその通りですね!

「上皇陛下のおことば

[平和への思い]」

書き出してみると、

「先の大戦で多くの人命が失われ、

また、我が国の戦後の平和と繁栄が、

このような多くの犠牲と

国民のたゆみない努力によって

築かれたものであることを忘れず、

戦後生まれの人々にも

このことを正しく伝えていくことが

大切であると思ってきました。

平成が戦争のない時代として

終わろうとしていることに、

心から安堵しています。

平成三十年十二月二十日(皇居宮殿於)」

このようになります。

上皇陛下は、「慰霊の旅」として、

11回も訪問された沖縄はじめ、

サイパン島、ペリリュー島、フィリピンなど

80歳を超えるまで、

いくつもの激戦地跡を巡り、

今の平和で豊かな日本が

戦争で亡くなった方々の

尊い命の上に成り立っている事を

自らが行動し、背中で語る事で、

若い世代にも伝えて来られました。

そんな上皇陛下のお言葉だからこそ

僕たちの胸に響いてきます・・・

例大祭は10時から。

僕たちはその前の参拝ですから

お邪魔にはならないようです(多分)

参列の方々の受付。

手水舎へ。

柱には卯月(4月)の行事が貼られ、

「十日 護國神社大祭(十時)」と

掲示されています。

手水鉢は

柄杓を使うも良し、

流れる水をそのまますくっても良しの

ハイブリッド構造ですよ!

個々の気持ちへの優しい配慮が

もう、たまらんですね!

二の鳥居。

拝殿前境内の階段下には、

例大祭の最中でも参拝できるよう、

賽銭箱が設えられています。

ここで念の為、職員の方に、

拝殿まで行っていいかどうか

お聞きした所、

今の時間は大丈夫との事、

ヨカッタ~(笑)

御社殿

多くの方々が準備に余念がないなか

僕たちだけは、

のんびり参拝させていただき、

有り難い限りです。

拝殿へ。

参拝。

神職の方々や雅楽担当の方が、

リハーサルをされていて、

運がいいことに、「越天楽」の生演奏を

聞かせていただけました!

(勝手に聞いたのですが・・笑)

この日は本殿周辺への立ち入りは不可。

なので、拝殿横から本殿にご挨拶。

絵馬

ここには二種類の絵馬があります。

スタンダードな絵馬。

ひょうきんなお馬様がいらっしゃる

「馬顔絵馬」。

隊長の手紙より

最後に涙したのが

特攻隊員の手紙です・・・

「隊長の手紙より」

書き出してみます・・・

「我ら明日を待つ身さ、

されど、明日は遂に来らざりき」

「在世中、お世話になった方々を、

一人一人、思い出します。

時間がありません。

ただ心から有難うございました。

笑ってこれから床に入ります。おやすみ」

「あんまり緑が美しい。

死にゆく事すら忘れてしまいそうだ」

「真青な空、ぽかんと浮かぶ白い雲、

六月の知覧は

もうセミの声がして夏を思わせる」

(作戦命令を今、聞く)

「小鳥の声がたのしそう、

俺も、今度は、小鳥になるよ」

日の当たる草の上に寝転んで

○○がこんなことを言っている。

笑わせるなあ。

本日十三時三十五分、

いよいよ知覧を離陸する。

懐かしい祖国よ、さらば。

使いなれた万年筆、「かたみ」に送ります。

散る桜 残る桜も 散る桜

(辞世の句)」

・・・・

「俺も、今度は、小鳥になるよ」

もう、涙しかありません・・・

この日、この時、ここに来られた奇跡、

御英霊の方々に改めて感謝です・・・

 

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