杜屋神社(山口県下関市)

 

神社愛

多くの神社を巡っていると、

神社を維持・管理することは、

大変なことだとつくづく思います。

日々境内を掃除する事から始まり、

御社殿が古くなり、

修理したり、建て替えたり、

火事で焼けたり、

台風で被害が出て、

復興が必要だったり・・・。

そんな神社を支えているのは、

僕たちの賽銭です・・・・

いや、それは無理(笑)

一番大切なのは、

氏子さんはじめ、

「神社愛」を持った

地域の人たちからの崇敬でしょう。

それを肌で感じられたのが、

今回参拝した杜屋神社です。

手入れの行き届いた境内、

真新しい手水舎、

新築中の境内社など

地域の方々の崇敬なくしては、

出来ないことばかりですからね。

杜屋神社へ

狭い路地のような道を通るので、

これで大丈夫なのかと

少し弱気になりながらも無事到着。

社頭。

灯籠は文政七年(1824年)の寄進。

いきなり200年前の灯籠に、

僕の気分は上げまくり、

妻はいつも通り至って冷静(笑)

一の鳥居。

安永四年(1775年)の寄進で、

大きな傷みもなく、しっかり現役しています。

厚母川に架かる御神橋を渡り楼門へ。

左右の灯籠は、

文政十年(1827年)の寄進。

手水舎は真新しく建て替えられていて、

氏子さんたちの神社愛を感じます(笑)

手水鉢は古いもの。

屋根の蟇股には、

左三つ巴の神紋が刻まれています。

御由緒。

長門國三の宮で、

延喜式内社。

御祭神は大国主命の后、

三穂津姫神。

大国主命(大物主)には

沢山の女性がいて、

180人とも181人とも言われる

子供を作っている絶倫(笑)ですが、

三穂津姫神との子は、いないようです。

(僕調べなので間違いは悪しからず)。

楼門。

弘化三年(1846年)寄進の狛犬。

吽形。

拝殿へ。

拝殿前の灯籠。

左側の灯籠。

この素朴感がたまらんです。

参拝。

賽銭箱は、昭和25年、

古希記念に奉納されたもので、

小洒落たデザインが何とも言えず素敵です。

左から本殿、幣殿、拝殿。

本殿。

本殿の裏側の磐境。

磐境のアップ。

境内社など

僕の確認不足かも知れませんが、

この神社には、

境内社が見あたりませんでした。

しかし、「建築途中」の

境内社があったのです!

御社殿の右側の通路を進んで、

「建築途中」の境内社へと向かいます。

右側にはいくつもの石碑群。

忠魂碑に参拝。

突き当りに新しく御社殿を建造中で、

本体を覆うブルーシートが、

流造の屋根みたいに見えてしまいます。

「祝新築」のシートで覆われた柱。

以前の写真を見ると、

ここには境内社がいくつかありました。

それをまとめて、この御社殿に

祭られる予定なのかも知れません。

何れにしろ、

建築途中の社殿を間近に見られるという

貴重な体験が出来、

今は本殿などに遷座されているであろう

境内社の神様に感謝です。

井戸

本殿左側には石の井戸があります。

見るからに古そうでいい感じですね!

「安政五午四月吉日

井戸氏子中」と刻まれています。

安政五年は、

西暦だと1858年ですから

井伊直弼が反対派を弾圧した

「安政の大獄」の年ですが、

ここではそんな血なまぐさい世情とは

関係なく(多分)、平和裏に井戸の寄進が

あっていたのですね。

境外の鳥居

杜屋神社に来る途中、

線路越しに見えていたのが、

境外にポツンとある鳥居です。

ソーラーパネルの前に建つ鳥居。

宝暦八年(1758年)の寄進です。

以前は、ここも境内だったのでしょう。

何故か大きな石が真ん中に

一つ乗せられています。

何か意味があるのかな?

再び境内へ

境外の鳥居を見て満足した後は、

再び境内に戻ります。

横参道の鳥居。

こちらも何故か大きな石が

真ん中に一つだけ乗せられています。

う~ん、何でだろう?

意味を知りたい~!(笑)

最後はツーショットで参拝は完了。

癒やしの空間

御社殿が建っている右隣に、

清々しい広場があります。

ここは神仏習合時代、

お寺があったのかも知れませんが、

今はこの空間が

癒やしの場所に感じられます。

 

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