毛越寺(岩手県平泉町)開山堂

 

慈覚大師円仁

毛越寺の開山(創始者)、慈覚大師円仁。

僕たちは最近、

この方とのご縁が特に深く、

毛越寺参拝前の半年間で、

山形県、立石寺の入定窟

比叡山延暦寺の慈覚大師円仁廟

二つのお墓にお参りしています。

そして、この後訪問した中尊寺も

翌日参拝した宮城県松島の瑞巌寺も

慈覚大師円仁の開基ですから、

「旬真っ只中」の円仁さんなのです(笑)

南大門

本堂参拝後は、

浄土庭園の大泉が池を時計回りで

ぐるりと一周します。

このブログで登場するのは、

写真の南側、

南大門跡〜築山〜開山堂です。

南大門跡。

「南大門跡」

以下案内です。

「「二階惣門」ともいい、

両脇に仁王像を安置し、

正面に「金堂円隆寺」の勅額を掲げていた。

天正元年(1573)

合戦による兵のため焼失したが、

礎石十二個が現存する。」

築山

池に沿ってスタート。

池の東側。

池の西側。

全体を動画で撮影。

築山

南大門跡から少し西に歩くと、

池辺に見えてくるのが、

築山と呼ばれる

岩を使った庭園風景です。

案内によれば、

「池の南西の位置にあり、

水面より約4メートルの高さに

築かれている。

水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、

水辺にせまる岩山の姿が造り出されている。

作庭記に書かれている

「枯山水の様」の実例と言われている。」

このように書かれています。

風流な光景なんですが、

僕たちがもっと注目したのは、

こちらです。

道の真ん中に行くてを遮るかの如く、

形の良い杉の巨木がそびえています!

樹齢は300年以上でしょうか、

このインパクト、

築山を忘れそうかも?(汗)

築山の西の端から見た

大泉が池の風景。

開山堂

さらに西側へ。

明治神宮から分譲献進されたアヤメ園。

これも一つの神仏習合かな?(笑)

開山堂に到着。

案内を書き出すと

以下になります。

「毛越寺を開かれた慈覚大師円仁

(794~864)をお祀りする堂である。

慈覚大師は、天台宗第三代座主となり

生前の業績を称えられ、

日本初の大師号を授けられた。

在唐九年間の紀行

入唐求法巡礼行記にっとうぐほうじゅんれいこうき」はマルコポーロの

「東方見聞録」、玄奘三蔵の

「西域記」とともに、

三大旅行記として高く評価されている。」

開山堂正面。

参拝。

整然としたお堂内。

慈覚大師円仁さんの坐像。

毛越寺のパンフレットには、

「白鹿伝説」として

次のような慈覚大師の逸話が

書かれています。

「寺伝によると嘉祥三年(850)

慈覚大師が東北巡遊のおり、

この地にさしかかると、

一面霧に覆われ、

一歩も進めなくなりました。

ふと足元を見ると、

地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。

大師は不思議に思いその毛をたどると、

前方に白鹿がうずくまっておりました。

大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、

やがてどこからともなく、

一人の白髪の老人が現れ、

この地に堂宇を建立して

霊場にせよと告げました。

大師は、

この老人こそ薬師如来の化身と感じ、

一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。

これが毛越寺の起こりとされます。」

偉いお坊様には、

とかくこの手の逸話がありますが、

やはり高僧にもなる人には、

その霊力の高さ故の、

様々な「出会い」と「強運」が、

あるという事でしょう。

藤原三代の肖像画にもご挨拶。

開山堂を背に、

円仁さん目線での浄土庭園。

そのまま池の近くまで行くと、

絵画のような光景が広がっています。

明治神宮のアヤメが咲き誇る頃には、

さらなる浄土になっている事でしょう!

(続く)

 

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