毛越寺(岩手県平泉町)本堂

 

駅チカ

毛越寺もうつうじはJR平泉駅から

徒歩10分ほどの「駅チカ」。

レンタカー移動をしない旅では、

実に重宝なことです。

「駅チカ」というだけで

毛越寺のご利益は

既に頂けたかも知れませんね(笑)

道路側溝と塀跡

2月末の平泉がどんな気候なのか、

ネットで調べてはみたものの

九州にいる僕には、

正直予想できませんでした。

しかしこの日は、

風は少し強いものの、ほぼ青空で、

徒歩日和の一日。

天照大神さんのご加護でしょうか?

とにかくありがたいことです!

毛越寺への道すがら

観自在王院跡を見学後、

少し行くと道端左側に

遺構の案内があります。

案内板。

側溝が造られたのは、

12世紀と書かれていますので、

藤原氏の全盛時代から衰退、

滅亡を知っている

道路側溝と塀跡なのでしょう。

山門

毛越寺に到着。

寺頭。

お寺の案内を書き出すと

以下になります。

「毛越寺は奥州藤原氏二代基衡の建立です。

「吾妻鏡」によれば全盛期には、

金堂(本堂)円隆寺を中心に

堂塔四十余宇、禅坊五百余字が建ちならび、

伽藍の荘さは吾朝無双と評されました。

円隆寺、講堂、常行堂、法華堂などからなる

加藍の背後には塔山がそびえ、

前面には大泉が池が広がります。

当時の建物はすべてを失っていますが、

基壇や礎石は良好に跡をとどめ

伽藍の旧状を

うかがい知ることができることから、

特別史跡に指定されています。

大泉が池を中心とする毛越寺庭園は、

国を代表する平安時代の

「浄土庭園」として名高く、

特別名談に指定されています。」

一関城の大手門を移築した山門。

拝観料を納めて境内へ。

振り返って山門の境内側を撮影。

芭蕉夏草の句碑

まずはパンフレットの確認から。

空からの平面写真。

写真の番号と照合できる

施設や遺構の案内。

パンフレットの航空写真に

僕たちが巡った場所を

書き込んでみました。

今回のブログでは、

山門〜芭蕉夏草の句碑、

そして本堂を巡っています。

寺務所前を通過。

手水舎。

青竹と柄杓、

いい光景です。

そして、少し歩くと

右側に二つの句碑が見えてきます。

「芭蕉句碑」

案内を書き出すと

「元禄二年(1689)高館を訪れて詠んだ、

「夏草や兵どもが夢の跡」を刻む。

左の小さい碑が芭蕉の真筆といわれ、

芭蕉の甥碓花坊也寥たいかぼうやりょう禅師による建碑。

右の碑は文化三年(1806)に

地元俳人素鳥たちによって

建てられた副碑。」

このようになります。

こちらが芭蕉の真筆と言われる句碑。

平泉ナビ」というサイトには、

宝暦七年(1757)の

建碑だと書かれています。

こちらは地元俳人たちが建てた碑。

本堂

次に本堂へ。

清々しい境内。

毛越寺伽藍復元図。

この絵のお陰で、

往時の姿が目に浮かびますね!

香炉。

本堂へ。

参拝。

落雪注意を落雷注意と

読み違えた僕(汗)

ちょっとした思い出です(笑)

(続く)

 

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