2024/04/11

毛越寺(岩手県平泉町)出島と池中立石

 

常行堂と法華堂

天台宗の延暦寺や日光の輪王寺には、

常行堂と法華堂が隣り合わせに

配置され建っています。

こちらは比叡山延暦寺参拝時に撮った、

常行堂(左)と法華堂(右)です。

ここ毛越寺にも、

戦国時代末期に焼失するまでは、

延暦寺などと同じように、

二つが並んで建っていましたし、

焼失する前の上野寛永寺にも

この二つはあったようなので、

常行堂と法華堂は天台宗において、

最重要な場所なのかも知れません。

鐘楼堂

江戸時代中期に再建された

常行堂を参拝した後は、

鐘楼堂〜常行堂・法華堂跡〜東門跡、

洲浜〜出島と池中立石を巡ります。

この写真の右半分が

今回のコースになります。

常行堂の斜向かいに位置する

茅葺き屋根の鐘楼堂(左)。

青天の下、雪をかぶった姿、

ザ・東北といった感じで、

素朴&素晴らしい光景です!

鐘楼堂自体の由緒は不明ですが、

現在の鐘は、

人間国宝香取正彦氏の作と

書かれています。

梵鐘。

撞くことは出来ませんが、

きっと心に響く音色でしょう・・

常行堂跡・法華堂跡

次に鐘楼堂のすぐ隣、

常行堂・法華堂跡へ。

かつてはここに

二つのお堂があったのです・・・

案内を書き出すと

以下になります。

「慶長二年(1597)野火のため焼亡。

向かって右が

常行堂跡で5間15.4m方形、

礎石の残る左が法華堂跡で

5間11.8m方形であった。

常行堂の礎石は現常行堂の礎石に

使われたのか残っていないが

根石があり、存在が確認された。

両堂はそれぞれ常行三昧、

法華三味を修法する堂字であり

渡廊で結ばれていた。」

やはりここも延暦寺などと同じく、

二つは結ばれていたんですね。

そして、

戦国時代の戦火を免れたのに、

野火で焼失とはなんとも惜しい!

第二次大戦の空襲を生き延び、

戦後の平和な時代に放火で焼失した

金閣寺を思い出してしまいます・・。

(再建されていますが)

常行堂、法華堂跡と

江戸時代再建の常行堂、

それに鐘楼。

風情たっぷりの雪のある風景、

癒されますな〜!

東門跡

洲浜(すはま)に向かう途中、

東門跡があります。

東門跡から見た大泉が池の風景。

案内には以下が書かれています。

「往時は築地塀が境内の

東端、南端を囲んでいた。

東門から境内を出ると観自在王院や

車宿くるまやどり(牛車の駐車場)のある

街路が現れる。

東門から敷石道が圓隆寺と

鐘楼を結ぶ東翼廊に続いていた。」

牛車の駐車場の名前、

「車宿」って言うだ〜!

昔の人、

いい名前付けていますね!

洲浜

洲浜と言えば、

家紋や神紋の洲浜を連想します(笑)

次の写真は福岡県大川市、

風浪宮の洲浜紋です。

この紋の形を思いながら、

実際の毛越寺の洲浜を見てみると・・

ん〜なんか似てるか・・な?(笑)

案内を書き出すと

以下になります。

「池の東側から大きく突き出た洲浜は、

ひろびろとした海岸の砂州を表現しており、

水位の昇降に応じてその姿を変化させる。

ゆったりとしたその姿は、

出島とは対照的な景趣である。」

洲浜左側の雪が残った所から撮影。

こっちからの方が、

洲浜紋っぽいかな?

対岸の鐘楼跡から見た洲浜。

出島石組と池中立石

浄土庭園を一周した最後の訪問地が

出島石組と池中立石です。

お〜なんかいい感じ!

庭園の良さなどは、

よく分かりませんが、

「青空・石・池・雪」

この風景だけで、

きっと「良い庭園なんだろう」と

思ってしまいます(笑)

以下、案内です。

「池の東南の位置に出島が造られている。

その先端の飛島には

約2.5メートルの景石が立てられ、

周辺には中小の石を荒々しく散らし

玉石を敷きつめている。

池水に洗われるその景観は、

荒磯の風情を表現している」

改めて横からも眺めると

かつて対岸にあったであろう大伽藍が

目に浮かぶような・・・

目に浮かぶ(笑)

大伽藍復元図を出してみると、

池の右下に出島があります。

東日本大震災後の復旧工事の案内。

池中の立石は約8度傾いたそうです。

(修復済み)

帰りがけ手水舎裏で見つけた石祠に参拝。

これにて毛越寺散策は完了です。

 

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