筑波山神社(茨城県)藤田小四郎之像

 

知識は感動を生むかも?

水戸天狗党の事を本格的に知ったのは、

一年ほど前に出会った、

怪奇な歴史研究室」という

YouTubeチャンネルでした。

その半年後の令和7年4月、

茨城県の天狗党関連のお墓や、

回天館などの史跡を巡り、

その2ヶ月後の6月には、

天狗党終焉の地、

福井県敦賀市に行き、

首領の武田耕雲斎以下、

藤田小四郎を含む353名が

斬首された場所や、お墓

水戸天狗党烈士を祭った

松原神社などを巡りました。

その関連知識として、

藤田小四郎らの天狗党筑波山挙兵を知り、

筑波山神社の参道近くには、

彼の銅像が建てられている事が

判明したのです。

これらを知らずして、

筑波山神社に参拝したとしても

銅像を見逃したり、

見てもあまり心に響くこともなく

記憶にも残らないかも知れません。

誰かが言っていました、

「知識が感動を生む」と・・・

ただし、僕の体験上、

その真逆もあるんですね(笑)

全く予想もしなかったものを見た時、

予備知識が無いという事は、

大きな感動を生む起爆剤でもあります。

結果、

「知識は感動を生むかも?」

これで決着としておきましょう(笑)

藤田小四郎之像

千葉県の香取神宮から

高速道路を使い約1時間半、

筑波山の麓までやって来ました。

筑波山の全景。

妻と30年以上前に来た時の記憶は、

100%無くなっています(笑)

駐車場に到着。

小四郎さんの銅像は、

駐車場から階段を降りた

すぐそばにあります。

左側が駐車場ですが、

ここでやたら目立つのが、

お城の石垣と同じ算木積みの隅石です。

補修した時の色でしょうが、

「算木積みの教科書」として

活用できるでしょう(笑)

銅像全景。

以下、案内のカタカナ部分を

読みやすく平仮名に換えて

書き出しました。

「幕末期、水戸藩九代藩主斉昭、

烈公の重臣藤田東湖

水戸学の理念である尊王正気に力を盡くし、

諸国志士の尊敬比なき碩学の人であった。

第四子に小四郎あり。

父の教えを守り、

日立府中(現石岡市)に根拠を設け

諸国の同志を募り、

元治元年三月二十七日

府中若松八幡に集まれる

同志七十四名と共に

関東の秀峰筑波山に登る。

尊王攘夷倒幕の狼煙を挙げ

天下の耳目を驚かせ

諸国同士の激発決起を促したが、

時に利非ず。

参した者八百有余人と共に

京都に赴き事をなさんと謀りしが、

幕軍の為に越前敦賀にて処刑、

時に齢二十三歳の弱冠也。

世にこれを水戸天狗党と呼んだ。

この挙兵により徳川幕府の瓦解を

十年早めたと言われている。

明治維新の先駆者

藤田小四郎を顕彰し像を建つ。

平成二年九月十五日

水戸郷土史家 安蔵桜水 芳根三郎」

正面アップ。

上半身アップ。

凛々しお顔。

西側を向いているのは、

小四郎が果たせなかった上洛の意思を

繋いでいるのかも知れません。

(続く)

 

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