遺構展示館(奈良市)
「マニア」の称号
平城宮跡には、3ヶ所ほど、
資料館的なものがありますが、
全部回るには、時間がないので、
その中でも一番興味が湧いた
「遺構展示館」へ行くことに。
黄色の丸で囲んだのが、
平城宮跡の遺構展示館です。
ここでは、
ボランティアの方が、
館内を案内してくれるのですが、
その方から、
「どちらを巡って来られましたか?」
そう聞かれたので、
「藤原不比等の館跡である法華寺から
東院庭園を巡って来ました」
このように答えると、
「へ~そうなんですか!
それは、
かなりマニアの方ですね!
殆どの人が大極殿を見た後、
ここに来られるのですよ」
こんなお返事が。
全く詳しくもない二人なのに、
いきなり「マニア」の称号をいただき、
お陰で、観覧前から
僕たちのテンションはアッゲアゲ(笑)
案内してくださった男性の方、
本当にありがとうございました!
逆再生
平城宮の各駐車場は、
全部(多分)無料。
素晴らしい観光地なのに、
ホントに有り難い限りです。
遺構展示館エントランス。
北棟→中棟→南棟→屋外
この順序での観覧となります。
懇切丁寧な説明を
しっかり聞きたいと思ったので、
写真撮影を封印し、
ボランティアの方と一緒に、
一旦全部を巡って、
屋外からUターンし、
今度は写真撮影しながら
入口を目指して、
再度、館内を楽しみました。
よって、
写真の順番は、
正規ルートの逆再生です(笑)
屋外
分かりやすい案内のお陰で、
遺構資料館を大いに堪能後、
ここから逆再生開始です。
屋外から南側の景色。
南棟
ここから撮影スタート。
「遺構展示の多様な手法」の案内。
ここ南棟では、
発掘された遺構面を覆屋の中で、
そのまま展示する手法をとっています。
遺構(本物)。
反対側から。
版位の㙛(レンガ)
案内を書き出すと、
「儀式のときや日常の仕事で、
役人の立つ位置を示すもの。
二つの㙛は日常用のもので、
公事のところで公の事務、
私事のところで休暇届など個人的な
事務を扱っていました。」
このように書かれています。
中棟
次に中棟へ。
中庭。
中棟の入口。
「㙛積官衙」
案内を書き出すと
下記のようになります。
「この場所は平城宮の中核施設である
大極殿や天皇の住まいである
内裏のそばに当たります。
ここでは建物などに㙛と呼ばれる
奈良時代のレンガが
多数用いられていました。
他の役所にはあまり用いられないことから、
特別な役所であったと推定されます。
ここに太政官という
国家の最高機関が
存在したのではないかという説もあります。
この区画は建物の特徴から
「㙛積官衙」と呼んでいます。」
案内していただいた方も
この「レンガ」が特別なものである事を
強調されていましたが、
1300年前に
日本にレンガがあった事に驚きますね。
そして、この遺構の
復元模型がこちらです。
遺構の黄色の部分が模型部分。
復元想像図(全体)。
黄色の部分が模型範囲です。
模型。
近影。
人形のアップ。
「奈良の一刀彫り」
「建築模型においた人形は、
奈良の伝統的な一刀彫りでつくったもの。
奈良の一刀彫りの歴史は、
鎌倉時代までさかのぼり、
春日若宮の祭礼(おんまつり)を
彩る人形として発展してきた。
現在も伝統的な作風である
「大まかな刀法」のもとでつくられている。
作者 神箸 勝(号 東林)」
このように書かれています。
鎌倉時代発祥の一刀彫りが、
奈良時代の模型で、
フューチャーされていたからこそ
僕たちは奈良の素晴らしい
工芸品を初めて知る事ができました。
左、「排水用の木樋(酒造司)」
右、「お酒を造る役所(酒造司)」
木樋の実物。
左が現代の平瓦、
右が、大極殿復元で用いた瓦。
丸瓦が奈良時代の特徴ですね。
北棟
逆再生(笑)の最後は北棟です。
ここでも南棟と同じく、
発掘された遺構面を覆屋の中で、
そのまま展示する手法なので、
本物が見られます。
正面から。
遺構変遷。
「730年(天平の初め)頃から
770年(宝亀の初め)頃にかけて
4~5期の変遷があることがわかります。」
こんな案内とともに、
その遺構の順番が色分けされています。
「内裏の井戸」
案内には、
「内裏の井戸の井戸枠で、
直径1.7mの杉の巨木を
くり抜いて作られています。
井戸があった場所には井戸跡の
実物大模型を展示しています。」
このように書かれていて、
実物が展示されています。
大きさ比較の為に妻登場。
くり抜いた部分が確認できるよう
鏡も付けられています。
右側、「第二次大極殿」について、
案内を抜粋・追記すると
「和銅三年(710)平城遷都後の
最初の大極殿は、
平城宮の中央部に建てられました。
それが復元された第一次大極殿です。
(聖武天皇の時代)都が
恭仁・難波・紫香楽を経て
天平十七年(745)平城京に戻ると、
大極殿は場所を移して
内裏の南側に建てられました。
これが第二次大極殿で、
この遺構展示館の西方に位置し、
現在は基壇が復原されています。」
このようになります。
平城京第二次大極殿基壇の南北断面。
地層の下から順に、
「前身掘立柱穴」
「第1版築土層」
「第2版築土層」
ここでも古代山城などと同じ、
「版築」が使われていた事に、
二人して感動(笑)
屋根の部分復元。
奈良時代の特徴、
丸瓦の様子がよく分かります。
内裏(中心部)遺構模型。
黄色の部分が建物模型範囲です。
内裏遺構模型・内裏正殿。
「内裏正殿は、大極殿や朝堂が
瓦葺き礎石立ちの中国風の
建物であったのに対して、
檜皮葺の掘立柱建物という
日本古来の様式で作られています。」
このように書かれています。
ここでも
奈良の一刀彫りの人形登場!
ここまでで、
遺構展示館の見学は終了、
次は復元された
第一次大極殿へと向かいます。