妙興寺(岡山県・長船町)
福岡のルーツ
慶長五年(1600年)、
関ヶ原の合戦での武功により
黒田官兵衛、長政親子が、
九州、筑前の国に入り、
新たな居城を構えた福崎という地名を
黒田氏ゆかりの地、
備前国(岡山県)福岡からとって、
「福岡」と改名したことで、
現在も「福岡県」、「福岡市」などの
名前があります。
そんな歴史を知っていた僕は、
いつかは、備前福岡へ行き、
自分が住んでいる土地の
ルーツに触れてみたいと思っていました。
そんな思いが実現したのが、
黒田官兵衛の曽祖父、高政と
祖父、重隆の墓所がある
妙興寺への訪問です。
長船町福岡
グーグル先生が迷ってしまい、
10分ほどタイムロスしたものの
豊原北島神社から車で約30分で、
妙興寺に無事到着。
いきなり「備前福岡」の文字に、
妻も僕もテンションMAX(笑)
妙興寺山門。
「黒田官兵衛父祖の墓所」の碑が、
燦然と輝いていますね!
妙興寺沿革。
仁王門。
阿形の金剛力士像(仁王像)。
吽形。
案内によると、
「(前略)内部から銘文が発見され、
寛永三年(1626年)に慶派仏師の
清水源兵衛(入道名は宋立)によって
造立したことが判明した。
また、幕末から明治にかけて
施されたとみられる
彩色修理は、播磨国の塗師である
福原孝七郎・孝八親子が手掛けている。」
このように書かれていて、
市指定重要文化財となっています。
山門前の沿革には、
「享保元年(1716年)
伽藍の大半を消失した・・・」
このように書かれていましたが、
この金剛力士像は、
そんな大火事さえからも生き延びて、
今も残っている幸運の力士です。
振り返って本堂側から仁王門を撮影。
手水舎。
手水鉢には、
「天明元年辛丑」と刻まれていますので、
西暦1781年の寄進です。
ちなみに今ブログを書いている
2021年も辛丑(かのとうし)、
60年に一度しか来ない年ですから、
やはりご縁を感じますね。
本堂手前に立つ、
「黒田家”礎”の地 備前福岡」の案内。
これ見て、
またまた、気分は高揚気味(笑)
本堂。
まずは参拝。
墓所
お寺の裏側には、
黒田家の他、
宇喜多興家の墓所もあります。
案内。
宇喜多興家公の墓にお参り。
宇喜多興家の子が直家、
孫が秀家です。
秀家は、岡山城主となるも
関ヶ原で敗退後、逃げまくって、
助命され八丈島に流され、
長い余生を全う出来た人ですね。
黒田家墓所。
案内。
黒田官兵衛の曽祖父、
黒田高政の墓にお参り。
祖父の墓は明記されていないので、
よくわかりませんでしたが、
墓所全体にお参りしたのでOKでしょう(笑)
大イチョウ
次にお墓と本堂の間にある
大イチョウへ。
葉は落ちていますが、
巨樹の存在感はあります。
案内。
ここに書かれている
吉備津神社のイチョウ・・・
前日参拝したのに、
見るの忘れてました(汗)
大イチョウを見たあとは、
本堂前の小僧さんと一緒に
スリーショット。
境内散策
ここにはその他、
いくつかの見所があります。
眞浄院旧跡。
大伽藍が焼ける前に
あったのでしょうか・・・
鐘楼。
神仏習合の時代から流れでしょうか、
お寺の中にある神社で、
御祭神は不明です。
備前焼狛犬、阿形。
お口が割れていますが、
阿形なので、これでもいいかな(笑)
吽形。
拝殿にて参拝。
左が本殿、右が拝殿。
そして、ちょうどこの時、
妻が上空を指差して雄叫びを(笑)
一羽の白鷺が悠然と
飛んで行くではないですか!
きっと妻のおばあちゃんが、
歓迎してくれたのでしょう。