慈眼院(岡山県・長船町)

 

福岡の神社で知った岡山の寺

福岡県筑紫野市に鎮座する筑紫神社

僕は、そこの絵馬堂で、

岡山県瀬戸市長船のお寺、

慈眼院を知りました。

九州の「福岡」という名前の由来が、

「備前福岡」であるように、

慈眼院も福岡と繋がりがあるお寺で、

その関係するものとは、

慈眼院に配置された梵鐘です。

その梵鐘とは、

南北朝時代、

筑紫神社に奉納されていたものが、

その後、山口のお寺に買い取られ、

明治時代になり、

岡山の慈眼院に寄進されたものです。

こちらが、

筑紫神社の絵馬堂で紹介されている

慈眼院の梵鐘。

約3年前、ここから梵鐘の軌跡を辿る

旅は始まったのでした(笑)

慈眼院へ

同じ町内の妙興寺から

車で約7分、慈眼院に到着です。

慈眼院の正面。

コンパクトなお寺なので、

ほぼこれが全景です。

山門。

お寺の建造物に

注連縄があるのは、珍しいですね!

最近では、

奈良県、東大寺の転害門

見て以来の事です。

妻が注目したのが、

屋根の狛犬。

吽形。

「備前長船 刀匠菩提寺」

刀剣好きならば、

この文字を見ただけでも感動でしょう。

案内。

「古くから長船刀工菩提寺で

あったといわれ、境内には、

刀匠上野大掾祐定の墓や、

横山元之進祐定寄進の梵鐘

(瀬戸内市指定文化財)がある。」

このように書かれています。

本堂で参拝。

注目は賽銭箱の真ん中。

お~これは刀の鍔(つば)ですよ!

やはり刀匠の菩提寺ですね。

絵馬のデザインも「刀剣」です。

ここで、ツーショット。

梵鐘

次にいよいよ梵鐘へ。

鐘楼と梵鐘。

「祐定寄進の梵鐘」の案内。

「備前長船の流れをくむ最後の刀匠

横山元之進祐定が、

明治二十年に

先祖代々の菩提のために寄進した」

「南北朝時代の

永徳四年(1384年)の作」

「池の間には、筑前国(福岡県)

筑紫宮へ納めるために

作られたことを記す刻銘、

周防(山口)の寺に

買い取られたことを記す刻銘、

祐定が寄進したことを記す刻銘、

また、鐘の内面には、

この鐘が当寺に納まるまでのことを記す

四種類の刻銘が記されている。」

このように書かれています。

この文中の「池の間」って、

お寺のどこの部屋なのか調べると、

それは部屋ではなく、

梵鐘の「場所」の名称でした(汗)

weblio辞書で調べると、

「梵鐘の部分の名。鐘身の中央部で、

乳(ち)の間と中帯の間にあり、

銘などが刻まれている。」

このように書かれています。

この文字が書いてある場所が「池の間」。

祐定が寄進したことが

ちゃんと見えていますね!

「当寺に納まるまでのことを記す

四種類の刻銘が

記されている」という内面。

文字は読めないかな・・・。

墓所

次に刀匠のお墓へ。

境内社や石の五重塔など。

備前刀匠各霊位供養寶塔。

この裏側がお墓です。

「横山上野大掾祐定のお墓」

これでお墓を確認。

お参り。

これで、慈眼院参拝は完了です。

妻の発見

帰りがけに僕が本堂右側から

撮影していると妻が一言。

右横の壁を指差し、

「これって、何だろう!?」

そう言われてよく見ると・・・

壁が炭になっているではないですか!

壁にこんなものを使うのは、

何か理由があってのことでしょう。

後から調べると、

これは「本焼き板」と呼ばれ、

スギの木を焼いたもので、

耐久性が非常に良いことから

岡山では多く使われているようです。

筑紫神社の参拝から

ここ慈眼院を意識し、

本焼き板まで知る事が出来、

南北朝時代生まれの梵鐘には、

大いにお世話になりました(笑)

 

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