長崎奉行所跡(長崎市)
最新の設備と遺構の合体施設
復元されたお城は全国に
沢山ありますが、
江戸時代の奉行所を復元した施設は、
日本でも珍しく、僕の頭に
思い浮かぶのは、
北海道の函館の観光名所である
五稜郭にある箱館奉行所だけです。
(昔は函館=箱館と書きます)
まだ行った事はありませんが(汗)
ところが、その奉行所が、
長崎にもあったのです。
それも圧倒的に凄いものが!
今回の旅は、のっけから
坂本龍馬や上野彦馬三昧で、
その二人の事を
もっと体験したいと考えて、
現地で急遽見つけたのが、
長崎歴史文化博物館でした。
この博物館、ただ建てただけじゃなく、
その建物の半分は、
長崎奉行所があった場所を発掘し、
その発掘した場所に、
その石垣など当時の物で使えるものは
そのままに使って建物も完全復元された
「長崎奉行所ゾーン」というのが
作られていて、
それと共に黒川紀章デザインの
近代的な建築物である、
「歴史文化展示ゾーン」と
二つに分かれているのです。
いや、こんな見せ方があったとは、
素晴らしいアイディアですね!
長崎奉行所跡へ
眼鏡橋や上野彦馬撮影局跡から
車で5分ほどで、
長崎奉行所が復元された
長崎歴史文化博物館に到着します。
長崎奉行所(立山役所)の案内というよりも
海援隊が疑われたが、
実際の犯人は福岡藩士だったという
イカルス号事件の奉行所がらみの
エピソードが書かれています。
発掘された遺構の案内。
残っていた石垣は使い、
それ以外は新しく増設しています。
石畳と、石段の多くは、
江戸時代のもので、
石段は上の一部分のみ、
新たに作っています。
新旧を分かり易くしてあるのが、
また好感度上がりますね!
門から見た奉行所の正面。
当時の設計図などが残されていたため、
詳細な復元が出来たようです。
奉行所アップ。
ここから左に行くと、
博物館の入口です。
長崎奉行所ゾーンへ
博物館に入ると、正面で入場料を支払い、
その受付向かって左側が歴史文化展示ゾーン、
そして、右側が奉行所ゾーンで、
今回は、奉行所でのお話となります。
ちなみに入場料はJAF割引適応で、
僕たちはちょっとお得に入れました(笑)
長崎奉行所ゾーンは、
江戸時代のままを復元していますから
畳の部屋も多く、
ここには靴を脱いで入ります。
寸劇もあるそうで、
僕たちは佐賀城本丸歴史館で
素晴らしい寸劇を体験して以来、
「寸劇大好き」になっているので、
期待も膨らみます(笑)
寸劇の時間前後に奉行所を
見学して回ります。
まずは、奉行所の案内。
昔の絵図と復元部分などを
詳しく紹介しています。
左は僕たちが上った正面の階段です。
これは素晴らしい残り方ですね!
平面図。
対面所。
オランダなどからの輸入品を
長崎奉行が問題が無いか確認する部屋も
当時のまま再現されています。
年寄詰所。
主立った歴代の長崎奉行が
紹介されていて、
この中には「遠山の金さん」の父の
名もありました。
これを見ると、長崎奉行の年収は
なんと6億円にもなった時期があります!
それだけ幕府にとって
外国と日本の唯一の接点である長崎は
重要な都市であり、その地の奉行は、
特に重要な役目だったのでしょう。
ここでの新旧奉行対面の様子を
図解しています。
書院は応接室みたいなもの。
書院。
その縁側には、トイレも完備(笑)
大用。
この下は池になっていて、
天然の水洗便所です(笑)
落としたものは、
魚の餌になったのかな?
小用。
現代のトイレに通じる形に
近くなっていますね!
思わず使いたくなりますが、
「使っちゃダメよ」
と書いてあります。
きついお裁きを受けないように
自制しました(笑)
手洗い水鉢も完備。
その他にも
初めて知るお奉行様が
たくさんあります。
長崎奉行の役目。
多忙過ぎますね。
長崎奉行の一年。
漢字にはフリガナも付いて、
見せ方が、子供でも分かるように
優しく丁寧です。
そして、
色々と見学しているうちに
寸劇の時間が来ました。
今日のお題は「くんち奉納踊り訴え」。
ここ御白洲でお裁きが始まります。
僕たちはここ。
正面真ん中一番前の特等席(笑)
まずは、踊りから。
妻は日本舞踊をやっていた
お母さんを思い出したと
感激していました。
それだけでも寸劇を見た甲斐が
あったというものです。
しかし、本番はこれから!
ボランティアの方々が
役者となって寸劇をしてくれます。
(写真撮影やネット掲載は自由)
こちらが長崎奉行。
この日は修学旅行の小学生達もいて、
賑やかな寸劇となっていました。
寛大な裁きに平伏する被告人。
この後、観光客たちと
役者さんの撮影会などもあって、
見る側と見せる側の距離が近い、
そして、ユーモアも溢れる寸劇でした。
長崎に行くなら奉行所も寸劇も必見です。
僕たちはこの後、歴史文化展示ゾーンへと
向かいます。